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リアルな地方の弁理士とは? ~ぶっちゃけ食えるか聞いてみた(松本 文彦先生)あしたの知財 Vol.07

知財の仕事場といえば、首都圏。そんな定説があります。

弁理士会の会員分布状況をみても、弁理士総数 約11,600人のうち、東京・神奈川・大阪・愛知の「3大都市圏」を主たる事務所とする弁理士が約9,400人。実に8割を超えています。

主たる事務所の都道府県別データをみても、鹿児島県 9名、山形県 4名、島根県 3名などなど、弁理士がほぼいない県がたくさんあります。

企業の本社オフィスが3大都市圏に集中している以上、企業弁理士も、事務所弁理士もあわせて集中するのは当たり前・・・ではありますが、それにしても偏りすぎなのでは?

気になり弁護士の都道府県別データと比較してみたところ、鹿児島県 197名、山形県 95名、島根県 80名と、弁護士はそれなりに地方に分布しています。ざっくり弁理士の20倍。

弁護士は約38,000人(2016年)で、弁理士の約3倍いることを差し引いても、「弁理士は地方に全然いない説」は事実なんだとわかります。

では、数少ない地方弁理士は、どんな仕事をされているのでしょうか。

3大都市圏との違いはあるのか、ぶっちゃけ今から「地方開業」しても食っていけるものなのでしょうか?

そこで今回は、広島で2017年に独立開業され、Twitterでも積極的に情報発信されている松本特許事務所の松本 文彦弁理士にお話を伺いました。

<松本先生プロフィール>

広島大学大学院において物理(レーザー工学)を専攻。
製造業の技術部においてCADでの製品設計・試作・不具合対策・量産立ち上げを経験。量産品の測定・評価、治工具の設計も行う。フォークリフトや床上操作式クレーンの操作も。

広島市内の特許事務所で特許実務を約10年経験した後、独立。
現在は松本特許事務所代表。広島大学・千田塾の役員や、一般社団法人『ヤマトプロジェクト』の顧問も務める。

※ より詳しくは事務所サイトよりこちら

Twitter:弁理士 松本文彦 (@fumihikomatsu) 

 

地方ならではの弁理士、そして知財の役割はあるのでしょうか?早速スタートです。

 

松本文彦×ちざたまご

1、波乱万丈!広島で弁理士として開業するまで

―今日は広島のオフィスまでお邪魔しているのですが、広島商工会議所ビルの中に事務所があるのに驚きました。

松本さん:開業当初からこの場所なんですよ。たまたま散歩中に会った広島大学のOBである商工会議所の職員の方に「商工会議所の貸しオフィスって、空いてるんですか?」って聞いたら、その日の夕方に「入れるで!」って連絡が。

お客様に場所がわかりやすいのと、商工会議所で行われる会合にもすぐに参加できるので、ずいぶん助かっています。

 

広島商工会議所ビル

―市電の原爆ドーム駅のすぐそばで、めちゃくちゃ便利ですよね。そもそも大学卒業から、「広島で弁理士として開業するぞ!」と考えていたんでしょうか?

松本さん:いや、全く。そもそも弁理士という仕事を知ったのが、自分がメーカーを辞める直前です。

私は香川県の生まれで、高校を卒業したあとに近場の都市ということで、広島大学に入学しました。

もともと「相対性理論」に憧れがあったんですが、あまりにも難しすぎてギブアップ。大学院に進んでレーザー工学を専攻したのですが、ちょっと違うことがやってみたくて広島市内の会社にシステムエンジニアとして入社したらいわゆるブラック企業…いきなり残業まみれです。もちろん残業代は雀の涙。

 

―いきなり波乱万丈・・!

松本さん:1年ぐらいがんばって勤めつつ、「これが俺がやりたかったことなのか?」と。

それでも一度入社したからには頑張ろうと思っていたんですが、たまたま再会した大学の同級生が「自分、会社辞めました」と。「えっ、会社って辞めていいんだ~!」って、目から鱗で。

 

―まあ、辛抱で報われる場合と、そうではない場合がありますからね。。

松本さん:あらためて自省すると、理系の大学院を卒業したこともあり「ものづくり」に関わる仕事をしてみたいなと。そこで、大下産業株式会社という広島市内のプラスチックメーカーに中途で入りなおしました。

 

―大下産業ではどのような仕事をされていたんですか?

松本さん:大下産業はフマキラーの関係会社なので、殺虫剤ノズルや電気蚊取り機のボディといった日用品のプラスチック成型の仕事が多かったです。自分は技術部配属で、オーダーがあった製品の設計・試作・金型発注など、開発にかかわる仕事を一通りやりましたね。

 

―開発マンだったんですね。印象に残っている担当商品はありますか?

松本さん:フマキラー以外にも色々なメーカーとの取引があり、その中でもスポーツ縄跳びの持ち手を作るプロジェクトがありました。大手のスポーツメーカーさんからの発注だったのですが、デザイナーが希望した形状だと量産できないためにさまざまな試行錯誤があり、商品が店頭に並んだときは感動しましたね。

 

―苦労した製品が世に出ると、達成感がありますよね。
メーカー勤務時代、充実されていたように思いますが、次の転職のきっかけは?

松本さん:確かに、ものづくりは楽しいし、開発の手ごたえがありました。ただ、3年ほど勤務した頃に子供が生まれることになり、率直に言うと自分の「時給」を上げたいなと。

「今までの経験を生かしたもっと別の仕事がないか?」と探したときに、出会ったのが弁理士です。

法律の専門家として資格が取れて、大学院や開発職で培った知識も生かせられる。クライアントのために「特許権」や「商標権」という新たな権利を作り出す点も面白いなと思いました。

とはいえ広島には弁理士試験の生講義がある予備校なんかないですから、とりあえずLECの「1.5年コース」の通信講座を受講することに。

 

―まったく法律知識がない中からだと、完全独学はキツいですよね・・。

松本さん:当時は残業も多く、少し勉強してみて「こりゃ、無理だな」と。
ただ、どうしても弁理士という仕事にチャレンジしてみたかったので、思い切って特許事務所に転職しようと。

 

―なかなかの思い切りですね!

松本さん:やっぱり子供が生まれたというのが大きかったですね。自分も新たなチャレンジをしようと。子供が10月に生まれ、翌年1月にはもう転職を決めてました。知財業界に入ると決めたことは、今考えると大きい転機でしたね。

 

―特許事務所に転職されてからは、弁理士にはすぐ?

松本さん:子供が生まれた直後ですから一筋縄ではいかず、受験回数は6回、合格まで約7年かかってます。その間、特許事務所で明細書の書き方を1から教えていただきました。メーカーでは開発職でしたから、明細書を読んだことすらなかったんですよ。最初はボロボロで、明細書1通完成させるのに、それこそ1か月とか・・。

 

―1か月1通だと、さすがに事務所の売り上げ的にヤバいような。。


松本さん:根気強く教えていただいた所長には本当に感謝しています。最初は修正が入りまくりましたが、だんだん減っていき、何とかモノになったと手ごたえが得られたのは、3年100通ぐらい特許明細書を書いたところでした。そこからさらに4年後、ようやく弁理士試験に合格。長い道のりでした。

 

―それだけ時間をかけたから、知財の実務がしっかり身についたという側面もありそうですね。弁理士試験は資格だけあっても、実務ができるかは別ですから。

松本さん:そうですね、良い修業期間だったと思います。合格から3年ほど経って、お世話になった事務所から独立する際には色々と悩んだのですが、やはり自分自身の力を試してみたいなと。2017年に今のオフィスで開業し、4年目になります。

 

松本文彦先生オフィス

―開業されて良かった点はどこでしょうか?

松本さん:色々な方と出会えて世界が広がりましたね。その分、責任は重いですが、自分で主体的に決められる楽しさはあります。

あとは、業務に使うPCや知財の専門書が経費で買える点ですね(笑)。業務環境の効率化にはこだわりがあるので、トリプルモニターを導入しています。専門書も気になったらガンガン買えて楽しいです。

この辺は、仕事と趣味が一体化している感がありますね。

 

2、地方における弁理士の役割とは?

―独立して最初の1年は経営がキツいとよく聞きますが、松本さんはどうでした?

松本さん:いや~、キツかったですよ!運転資金がガンガン減っていく。ぶっちゃけた話、1年目は300万円の赤字でしたね。開業費用がかかるのもあるのですが、講演等の営業に時間が取られ、売り上げが立たないんですよね。

 

―広島を「主たる事業所」とする弁理士は52名と東京よりも全然少ないですが、それでも競争は激しい?

松本さん:「競争自体が激しい」と感じたことはないですね。そもそも他の弁理士の方とほとんど会わないんですよ。もちろん弁理士会の集まりなどではお会いするんですが、例えば、他の士業との交流の場でバッティングしたことはない。

一方、弁理士という仕事の認知度は皆無で、自然に入ってくる仕事は本当に少ないです。

 

―「そもそも知財に関心があるクライアントがいない」という環境そのものが、地方の厳しさなんですかね。どうやって打破されたんでしょうか?

松本さん:ともかく「弁理士 松本 文彦」という存在を認知してもらわないと何も始まらないので、弁護士・税理士・社労士といった他の士業との勉強会に入りまくりました。今でも4つ所属しています。

他には広島大学のOB会、独立の時にいろいろとサポートして頂きましたし、恩返しの気持ちもあって役員も勤めています。あとは大学のOB会つながりでロータリークラブにも加入しましたね。

 

―めちゃくちゃ参加されてますね!かなり時間も取られそうですが、気になる営業効果はどうなんでしょうか。

松本さん:地方のビジネスの世界は、やっぱり人間関係なんですよ。「あいつは会合で頑張ってくれたから信頼できるな」とか、「〇〇さんの紹介なら信用できる」とか。ただ、仲良くなっても知財の案件がそうあるわけじゃないし、なかなか仕事にはなりません。

仕事目当てで人間関係を作るというより、まずは「広島経済界」で自分を知ってもらい、何かしら貢献できれば、後で思い出してもらえる・・ぐらいで、それこそ2年・3年はかかります。

ただ、人間関係ができれば、色々なところからポツポツ紹介を頂けるようになり、いつの間にか食べていけるようになる。「明細書を書く」メイン業務以外にかかる時間は正直、膨大なのですが、あちこち顔を出すのが自分には合ってましたね。

 

「待ち」だけででとれる仕事は、ほぼなさそうですからね。地方で開業されて、「これが弁理士の役割だ」と感じる仕事はあるでしょうか?

松本さん:自分の事務所のホームページに「理念」として挙げているのですが、そもそもトラブルが起きないようにするのが本当の弁理士の役割かなと。

松本特許事務所 理念

発生した知財トラブルを私が解決すると、弁理士としての活躍が目に見えてわかるのでクライアントから感謝されます。
しかし一旦知財トラブルが発生すると、知財トラブル発生から解決までに多大なる労力と時間とお金が必要で、しかも100%の原状回復は不可能です。
お節介かもしれないけれど、日常的にクライアントに寄り添って知財トラブルを未然に防ぐ。
その結果、知財トラブルが起きないので私の活躍が目立たず、クライアントから感謝される機会も無い。
そういう弁理士に私はなりたいと思います。

 

そもそも、地方にいる大半の方は「知財なんか知らない、自分には関係ない」で日々ビジネスをされているのですが、日本は法治国家である以上、別に知財の制度を知らなかろうが、他人の知的財産権を侵害していれば警告されるし、時には訴えられるじゃないですか。

 

―確かに「法の不知はこれを許さず」ですから、知らずに商標権や特許権を侵害してしまうことはいくらでもあり得ますね。

松本さん:例えばお店のネーミングについて。一昔前は「広島の店舗名」が、首都圏の商標権者に気づかれて、警告される・・・なんてことはほぼなかったですが、今はSNSの時代です。

新装開店した飲食店がお客さんに来てもらおうとSNSで画像をアップしたら、それが東京の商標権者の目に留まり、使用中止の警告状が来る・・・なんて事例が、広島でも普通に起こっています。

 

―確かに今の時代、わざわざ検索しなくても、Twitterで拡散されるなどして勝手に情報がはいってきますからね。権利者の目に留まりやすくなっていると思います。

松本さん:たいていお店に警告状が来るのは、内装・外装が終わり、いざ開店と思って広告まで打ったあとなんですよ。商業ビルの看板、パンフレットなど、自分の店舗以外の修正も必要になると費用は膨大だし、信用だって大きく損なわれます。

これは「商標権は早い者勝ち、先に商標登録されているネーミングは使えない」ことを知っていて、あらかじめ調査・出願しておけばたいてい回避できるトラブルですが、みんな知らないから地雷を踏んでしまう。

不幸な知財トラブルを未然に防ぐための、知恵とサービスを提供するのが地方弁理士の大きな役割かなと。

 

―ただ、一般の方に知財リスクがピンと来てない以上、弁理士が「リスクがあるから依頼してください」と叫んでも、正直、宣伝っぽいですよね。

松本さん:先ほどの話通り、信頼を高めるにはやはり人間関係ですね。例えば、弁護士・税理士といった他士業の先生と交流し、「知財リスク」について知っておいてもらうと、何か危なそうなケースがあれば「知っている弁理士がいるので良かったら相談してみれば」と紹介してもらえる。

また、普段から交流している会社の方に「弁理士の役割」を知ってもらうと、その方自身には知財案件がなくても、その友人や取引先を紹介いただけることがある。

このような人の繋がりで、2年目は赤字を脱出し、今ではさまざまな地元の方から依頼をいただけるようになり、事務所経営も安定してきました。

弁理士自体が認知がない仕事であっても、知財のニーズは必ずある。そこに「自分自身の信用」をリンクしていければ、地方で独立しても食べていけると思います。

3、ヤマトプロジェクトという挑戦 ~弁理士だから出せる、開発のGOサインとは?~

―松本さんの理念である、「知財トラブルを未然に防ぐ」こと以外にも、地方での弁理士の役割はあるのでしょうか。

松本さん:自分はもともとメーカーの開発マンだったこともあり、クライアントの「開発の背中押し」も大事な役割だと考えています。

『ヤマトプロジェクト』という広島メーカーの協力団体があるのですが、私はそこの顧問も勤めています。今日はヤマトプロジェクトのお二人に来ていただいたので、一緒にお話ししましょうか。

 

ヤマトプロジェクト 木下潔さん 三浦 啓次さん

ヤマトプロジェクト代表理事 木下 潔さん(右)
          同会員 三浦 啓次さん(左)

―木下さん、三浦さん、本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、『ヤマトプロジェクト』について、どのような団体か教えてください。

木下さん:『ヤマトプロジェクト』は広島の製造メーカー15社で構成されている一般社団法人で、主な活動は「受発注の拡大、新製品の開発、情報交換」です。

私も㈱木下製作所という鋳物の専門メーカーを経営しているのですが、自社の専門分野には自信があっても、それを新しいお客さんに知ってもらい、広げていくのはなかなか難しい。同じような悩みを広島の各メーカーでも抱えていたところ、2015年にひろしま産業振興機構の担当者の方が、「だったら、会社の枠を超えた共同受注のプロジェクトを作りましょう」と。

 

―1つの会社として仕事を受けるだけでなく、『ヤマトプロジェクト』というブランドで、ものづくりを受注していくのですね。

木下さん:はい、ちなみにプロジェクト名の由来は、広島県呉市で建造された「戦艦大和」からです。当時の最高峰の技術で作られた「戦艦大和」に由来する技術力が、広島の製造業には息づいているぞと。初期のロゴには戦艦のシルエットも入ってます。

 

ヤマトプロジェクト ロゴ

―この共同受注プロジェクトは最初からうまくいったのでしょうか?

木下さん:率直にいうと、なかなか難しかったです。『ヤマトプロジェクト』という知名度があまりなく、指名の仕事が入ってこない。当初のメンバーは20社だったのですが、「具体的なビジネスメリットがないと・・」と抜けていく会社もありました。

 

―確かに、社外の団体活動には時間も取られますからね・・。どのようにして、知名度のなさを打破していったのでしょうか?

木下さん:2019年に一般社団法人化したのですが、その時にまずロゴを見直しました。
元の『戦艦大和』コンセプトには思い入れもありつつも、ちょっと無骨で親しみを持ちにくいよねと。そこで、大和でも『桜』コンセプトにシフトし、花びらをイメージしたロゴに一新しています。

 

ヤマトプロジェクト ロゴ2

 

―ずいぶん柔らかいイメージになりましたね!確かにこちらのほうが、新規のお客さんは問い合わせしやすいかも。

木下さん:松本先生には、一般社団法人化する前から「顧問弁理士」として会合に毎回同席してもらっていたのですが、設立前から商標出願を提案してもらい、代理人として登録まで導いてもらっています。

 

「YAMATO PROJECT」商標登録情報

J-PLAT PAT商標検索結果より

松本さん:単なる団体名としてだけではなく、『YAMATO PROJECT』というブランドネームでオリジナルの製品を積極的に売っていきたいというお話を聞いていましたから、「であれば、商標を登録しておきましょう」と。

出願時はまだ法人が設立されていませんでしたから、まずはメンバー社の名前で出願し、社団法人の成立後に名義変更する方法で、スムーズな商標登録を実現しています。

 

―「商標は早い者勝ち」ですから、長く使うブランドネームならできるだけ早く商標登録するのは鉄則ですからね。先ほど「オリジナルの製品を売る」というお話がありましたが、これはどういう動機だったのでしょうか?

木下さん:ロゴをリニューアルするだけでは知名度向上には弱いなと。やはり、『YAMATO PROJECT』というブランドを付けた製品が欲しい。製品があれば、受注が来るのを待つだけでなく、こちらから売り込むことも可能です。

ただ、ニーズがないものを作っても仕方ないので、どのような製品が良いか探していたところ、「あるメーカーで製造終了したコンタマシン、ヤマトプロジェクトで代わりに作れないか?」という話が出てきました。

 

―不勉強ですいません、『コンタマシン』ってどんな機械なんでしょうか?

三浦さん:私が経営する「晟上工業」で、設計・製造を担当したので説明しますね。

コンタマシンとは、合金を切断するための工作機械で、わかりやすくイメージしてもらうならば、電動糸ノコ機のパワーアップ版です。鋼だけでなく、ステンレス・アルミ・カーボンなど様々な素材の加工に広く用いられています。

 

ヤマトプロジェクト協賛 コンタマシン(直線切断機) 初号機

ヤマトプロジェクト協賛 コンタマシン(直線切断機) 初号機

 

―電動糸ノコ、確かに学校の工作室にありました。台のところに素材を置いて、ノコ刃で切断するんですね。

木下さん:あるメーカーさんで「定番」的なコンタマシンを販売していたのですが、新規製造はすでに取りやめている。メンテナンスは継続しているとはいえ、いつかは本体の寿命が来るし、コンスタントにニーズがある機械なので、ヤマトプロジェクトの企画の1つとして作ってみてはどうか、という提案でした。

ただ、ニーズはあるとしても、今までメンバー社の誰も作ったことがない機械ですし、無断で似た機械を作って大丈夫なのか?知財トラブルに発展したらまずいですよね。会合でみんな悩んでいたら松本先生から「作って大丈夫かどうか、今すぐ特許を調べますよ」と。

 

―企画のアイディアが出てきたミーティングの場で、調べてもらえるのは強いですね。

松本さん:私は毎回、会合に参加していてPCも持ち込んでいるのですが、とりあえず名前が上がったメーカーさんの特許がないことを確認しました。コンタマシン関係の先行特許もざっとみて、「作れる可能性は十分あります」と。もちろん、会合の後にもオフィスで詳細に調査し、特許権侵害にならないことのクリアランスを取っています。

三浦さん:私はこの日、昼の会合には参加しておらず、飲み会から合流したら、みんなに「三浦さん、コンタマシン作ってみたら」と突然言われてびっくりしたのですが(笑)。

私の会社では、熱処理炉やミキサー首振り装置など、さまざまな産業機械を設計から製造まで一貫して対応した経験があるので、すでにある構造を参考にできるなら、作れるかなと考えました。「本当に参考にして大丈夫?」という部分は、松本先生が弁理士として「特許権の侵害にならない」という以上は安心だろうと。その場のノリもあり、「ともかくトライしてみます」と答えて、実際に開発することになりました。

完成したのがこちらのマシン、本体に『YAMATO PROJECT』のロゴも入っています。

SJTB 500説明動画(Youtubeより)

―弁理士の知見とメーカーのノウハウが合わさって、はじめて実現した企画だったんですね。開発の苦労はどうでしたか?

三浦さん:先行する機械があるといっても、参考にしたのは基本構造だけで、外観をはじめ具体的な設計は1から図面を引いています。『強靭、高精度』をモットーにし、余計な機能は省いて故障のリスクを最小化しつつ、「手動・自動のワンタッチ切り替え」や「操作盤への機能集約」など、日常の操作しやすさにも注力しました。

また、コンタマシンの価値は「高精度」にあります。精度が高ければ、二次加工が不要になりますから、時間・コストの大幅な削減になる。FCVと呼ばれる高強度・高硬度の鋳鉄をスライドテーブルに採用するなど、加工精度には徹底的にこだわり、切断試験では炭素鋼の角材から厚さ0.8mmの薄板を切り出せるほどの高精度です。

木下さん:プロジェクトのメンバー内でも「このコンタマシン、自社に導入したらいいんじゃない?」という話も出るぐらいですから、良い製品になったなと。

 

―プロジェクトメンバーや弁理士が「これを作ったらいいんじゃない?」と背中を押して、1つの製品が完成したというのは良い話ですね。

松本さん:弁理士の仕事は「知的財産権の出願業務」を中心に見られがちですが、先行する知的財産権を調べて「この製品は安心して作れますよ」とクライアントに言ってあげるのも大事な仕事だなと。

知財部があるような大企業であれば、もちろん社内で先行技術調査を行い、「作って良い、悪い」を自分で判断できるでしょうが、地方の一般的なメーカーには知財担当者はおらず、作ってよいかどうかの判断は困難です。であれば、それは弁理士の役割かなと。

メーカーの開発経験と、知財の専門知識を組み合わせて、「こういう設計なら作っても大丈夫」とアドバイスし、地方のものづくりを後押しできる存在になりたいですね。

4、おわりに ~地方弁理士の面白さとは?

―最後に、松本さんにとって「地方弁理士の面白さ」ってなんでしょうか?

松本さん:やっぱり、地方では圧倒的に知財が知られていないことですかね。自分は首都圏で開業したいという気持ちが全然ないんですよ。首都圏は、知財のことを良く知っているクライアントがたくさんいるし、1から知財を知ってもらう苦労は少ないかもしれない。ただその分、弁理士もいっぱいいるし、横の競争も激しいですよね。

結局どこで苦労するかなんですが、自分は「知財を全然知らない人に、1から知財の価値を知ってもらう」苦労が好きなんだなと。

 

―ただ、知財そのものが認知されていない分、1件受注するまでは大変ですよね。

松本さん:その通りなんですが、一方で地方の知財は、仕事の取り合いでは無いなと。

例えば税理士であれば、地方であっても青色申告は各社年1回行う必要があり、どの先生に依頼するかというチョイスが発生します、いわば限られた仕事の取り合いですが、弁理士の場合は知財の価値を知ってもらい、そもそも無かった仕事を新しく作っていける。特許は年1件だけ出願、という制限もありませんから、いくらでも広げられる可能性もあります。

 

―確かに、これまで知財のことを良く知らなかったクライアントに対して、知財の観点から「ビジネスの安心」と「広がり」を提供できるのは、やりがいがありそうですね。

松本さん:知財を通して「お客さんの役に立っている」という充実感がありますから、やっぱり自分は弁理士という仕事が好きですね。新しいことへのチャレンジをサポートできるのが弁理士の醍醐味、今後も色々な人とつながっていきたいです。

あとは個人的な野望として事務所を3人体制にしたいですね。人が増えれば地方であっても、やれることがもっと広がると感じています!興味があればご連絡お願いいたします。

松本文彦先生

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―リスクを回避する「守り」のアドバイスだけでなく、開発の背中を押す「攻め」のアドバイスも弁理士はできる。ヤマトプロジェクトのような人の繋がりに弁理士も加わり、新しい商品化を実現していくという話は、「知財の希望の道」だと感じました。

松本さん、木下さん、三浦さん、ありがとうございました!

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☆『ヤマトプロジェクト』公式ページ:http://yamato-project.com/

☆『松本特許事務所』ホームページ:https://matpat.jp/

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