商品「りんご」に対し商標「アップル」、商品「ぶどう」に対し商標「グレープ」。
このような商品・役務の “普通名称”は、商標登録できないルールになっています。
誰かが商標登録して独占してしまうと、その商標を使えない同業者は困ってしまいますし、さらに、需要者(お客さん)がその商標をみても、何人かの業務にかかる商品又は役務であるとは認識できません。
例えば、りんごの段ボール箱に「アップル」と書いてあっても、ユーザーは「この箱にはりんごが入っているな」と認識するだけで、「アップル社の販売品だな」とは思いませんよね。
特許庁の商標審査基準でも、
商品「サニーレタス」について、商標「サニーレタス」
商品「電子計算機」について、商標「コンピュータ」
商品「アルミニウム」について、商標「アルミ」
などが、普通名称であり登録できない例として明記されています。
しかし身近に驚くべき商品がありました。日清製粉の家庭向け小麦粉、ブランド名は「フラワー」。小麦粉を英語で言えばFlour、つまり「フラワー」そのまんまです。
ただ、パッケージの「フラワー」文字には、商標登録済みを示す®マークがあります・・。
「こんなの登録できるの?」と特許庁のデータベースで調べると、確かにカタカナ文字だけで商標登録されていました。
指定商品の「1類 工業用粉類」には、小麦粉が含まれるため、まさに指定商品「小麦粉」について商標「フラワー」が登録できています。
ただ、この商標、出願から登録まで12年もかかっており、七難八苦のうえに登録されたようです。ただ、1980年の出願のため、オンラインでは資料を閲覧できません。そこで特許庁に行って、戦いの歴史を確認してきました(以前の記事)。
今回は郵送で届いた複写資料をもとに、いよいよ小麦粉に「フラワー」が商標登録できた謎を紐解いていきます!
目次
1.最初は拒絶査定!特許庁も「これはないよ」
まずは出願書類を見てみましょう。
当時は2万円の印紙を、直接「商標登録願」に貼り付ける方式だったのですね。
この登録願の右下には、気になる書き込みが。
出願人側が書いて出願するわけがないですから、審査官のメモでしょうか。「これって小麦粉の意味だよね?」とすでにチェックされています。
そして案の定、拒絶理由通知書が出されます。
「フラワーは小麦粉の意の英語『FLOUR』の字音表記に相当するから、小麦粉に使用する場合は商品の普通名称を普通に用いられる方法で書したにすぎない」と書かれております。審査官、なかなか達筆ですね。
このもっともと思える指摘に対し、出願人側はどう反論するのでしょうか?
反論のために提出された意見書は表紙を入れて全6枚、めっちゃあっさりしていました。主な論旨は2つです。
① 本願においては、「フラワー」から小麦粉の「FLOUR」ではなく、誰でも知っている言葉である花の「FLOWER」を観念する。
② 出願人は漢字の「花」と英語の「FLOWER」を2段に併記し、「麦粉」を指定商品を明治40年に登録し、以降「FLOWER」又は「フラワー」を小麦粉に永年独占的に商標として使用している。その結果、当業界では「フラワー」といえば出願人の著名商標として広く認知されている。
さてこの反論、皆さんどう思われますでしょうか?意見書を受けた特許庁の判断は・・・

いやまあ拒絶されますよね。①確かにフラワーで通常思い出すのは「花」なのでしょうが、今回は小麦粉に商標を付しているのだから、「小麦粉」をまったく想起しないというのは無茶。
②の「フラワー」といえば出願人の著名商標だよ・・という主張自体は、あり得る話ですが、裏付けとして出された証拠はこれだけ。
6号証は条文のコピーのため、実質的な証拠は5つのみ。それも食品大事典のコピーと、自社のパンフレットと包装袋3種です。
この包装袋の画像をもって「みんなこのPKG知ってるよね?じゃあ著名だよね?」というのはさすがに無理でしょう。
特許庁の拒絶理由通知書でも「出願人は、意見書において種々述べているが、さきの認定を覆えすにたりない。」とだけ理由が書かれた、なかなかの塩対応でした。
第一ラウンドは厳しい結果でしたが、さて、ここからどう反論するか?舞台は拒絶査定不服審判に移ります。
2.証拠こそパワー、「フラワー」の著名性を立証せよ!
拒絶査定不服審判とは、「拒絶査定を受けた者がこれに不服であるときに、査定の当否を判断するためにさらに事件の審理をする審判手続」とされており、判断者も審査官から審判官に交代します。
審判官は審査官と同じく特許庁の職員ですが、一般的に経験を積んだ審査官が昇任するポジションであり、さらに審判は3名又は5名の審判官の合議体で判断されるため、妥当性の判断レベルは高いとされています。
実際の審判資料を見てみましょう。こちらは閲覧した紙包袋の表紙です。

審判請求が昭和57年(1982年)2月で、審決の確定は平成4年(1992年)7月1日。何と確定まで10年の時間がかかっています。
細かく見ていくと「審判請求理由並びに証拠補充書」が提出されたのは昭和60年3月28日。審判請求から3年と、まずは日清製粉側で準備にかなり時間がかかったようです。
審判請求した理由の要旨は
①「フラワー」の語から想起するのは一般的に「花(FLOWER)」であり、「小麦粉(FLOUR)」は広く一般に知られていないので、観念しない。それは小麦粉業界でも同じである。
② 出願人は「FLOWER」のほかにカタカナの「フラワー」も商標として独占的に75年近く使用し続けてきた。出願人の生産販売高は業界のトップであり、さらに「フラワー」の商標を付した製品は、家庭用小麦粉の中で市場占有率が一番高い。その結果、「フラワー」といえば出願人の著名商標として取引者・需要者間に広く認識されているものである。
で、最初の意見書から大筋変わってはいません。審判官を説得できるかは証拠次第でしょうから、目録を見ると・・
補充証拠が甲7号証にはじまり第141号証まである!?どうやら日清製粉側も本腰を入れてきたようですね。わかりやすいよう補充証拠を整理してみましょう。
物量だけでなく、種類もバラエティに富んでいますね。次の章ではいくつか気になる証拠をピックアップし、詳細を見ていきましょう。
3.逆転の決め手は・・取引先の声明文!?
気になる証拠① 取引先企業からの「証明書」(甲18号証)
まず目についた証拠は「証明書」です。取引先が出した書類ですが、
1、「フラワー」なる商標は日清製粉株式会社の小麦粉の商標として製粉業界において周知であり、同社以外に小麦粉として使用されている例を知らない。
2、当業界においては小麦粉の普通名称としては「小麦粉」又は「メリケン粉」が用いられ片仮名で「フラワー」と表示されることはなく、小麦粉に「フラワー」なる商標を使用した場合は「花」を想起する。
と、「そこまで言い切って大丈夫?」と感じるぐらい強い内容で書かれています。
書式は日清製粉が用意したものでしょうが、代表取締役印も押されており、担当者レベルでほいっと出してもらった書類ではなさそうです。同様の証明書を49社が提出していますから、準備は相当大変だったのでは・・。反論書提出に3年かかったのも納得です。
異議申立てに懸ける日清製粉サイドの本気度を感じました。
気になる証拠② 甲76号証 CHAIN STORE AGE NEWS広告コピー
広告資料を出すのは普通だろうが、これには「売り場で集めた消費者の声」の色紙がついています。つまりユーザーの声で「小麦粉といえはフラワーだね」という認知度を示す形になっているのです。
「フラワー出願を通すために狙って作った広告かな?」と邪推してしまったのですが、1972年2月付けの広告で、商標出願より8年も前でした。
うーん、この証拠を探してきたのは技ありですね。当時見つけた担当者も膝を打ったのではないでしょうか。
気になる証拠③ 甲143号証 TVCF放送確認書
博報堂が出した、「確かにCF(コマーシャルフィルム)をTVで流しましたよ」という証明書です。現在でもTVCMがちゃんと放映されたことの証明にはこのような書類が有効とされています。
TV小説「一度は有る事」、森本さわやかワイド、貴方も社長 ハイ&ローなど、TV番組の名前が時代を感じさせますね。主に昼の時間帯に「フラワー」のCMを入れていたようです。奥様向けの商材ということですね。
証拠を読み込んでいくと、私も「フラワーを日清製粉に登録させてもいいんじゃないか」とだんだん気持ちが傾いてきました。しかし、この出願、さらに一波乱あったようなのです。
4.その登録、ちょっと待った!同業他社が異議申立
たくさんの証拠が提出され、これで審判官も説得されるかと思いきや、何と登録の異議申立が。
申立人は日本製粉。ライバルメーカーです。
商標登録異議申立書を読むと、
① 英語の「FLOUR」は一般的な辞書にも掲載されているし、カタカナ語辞典の「フラワー」の項目には花も小麦粉も両方掲載されている。
② 小麦粉取引業界においても、複数の専門書籍を参照すると「フラワー」の文字は「小麦粉」等の意味合いで普通に使用されている。
から、「フラワー」と表示すれば「粉」又は「小麦粉」を表示するものであることは明らかである。と異議申立の理由が示されていました。申立書の結語でも
本願商標は・・・自他商品の識別力及び登録適格性を明らかに欠くから、拒絶審決されなければならないものである。よって、異議申立人は本件異議申立について「理由あり」との異議の決定があるものと確信する。
と、なかなかヒートアップしています。
証拠も甲1~12号証と、辞書や専門書を中心にそれなりの数が出されています。さて、日清製粉側はこれにどう対抗するのでしょうか?
異議申立に対しては「答弁書」を出して反論できるのですが、日清製粉、日本製粉を超える量の証拠をカウンターで出しました。まず「答弁書その1(平成3年9月)」で乙1~14号証。
さらに日本製粉が「異議弁駁書」を出してくると、「答弁書その2(平成4年2月)」で乙15~52号証。もはや証拠数の暴力です。
ロジックも確認していくと、
①「フラワー」が小麦粉の意味だと辞書に記載されていることと、商品の普通名称として一般に認識されているか否かは別問題である。フラワーと聞けば、一般的には花を想起する。
②フラワーが小麦粉の意味と日本で認識されるようになったのは昭和時代からだが、出願人は小麦粉に「フラワー」商標を明治時代から使い続けている。証拠として出された辞書等は出願人の使用開始から50~60年後に出版されたものにすぎない。
と、「フラワー」商標の長い歴史を示しつつ、「フラワー=小麦粉」とただちに理解することはない、普通は花を思い出すものだと反論しています。
さて、どちらに軍配が上がるのでしょうか?
5.ついに下る、特許庁の判断!
平成4年4月30日に、特許庁は2つの書類を発行しました。1つは「登録異議申立てに対する決定書」、もう1つが「拒絶査定不服審判に対する審決書」です。
1つ目の結論は、「本件登録異議の申立ては理由がないものとする。」つまり、異議申立てが却下されました!
多少長くなりますが、重要なところですので理由付けをしっかり引用してみましょう。
なお、請求人:日清製粉、申立人:日本製粉です。
本願商標は「フラワー」の片仮名文字よりなるところ・・・「フラワー」の語は、「花、草花」の語義を有する外来語として明治時代から世人に知られ親しまれてきたものであり、「小麦粉」の意味としては昭和時代に入ってから借入されたものであることが、乙第1号証に係る「コンサイス外来語事典」に徴しいい得るところであり、
かつ、本願商標「フラワー」は、請求人が自己の業務に係る商品「小麦粉」について、大正時代から商標として使用を開始し現在に至っていることが、乙第15号証に係る「営業案内」(日清製粉株式会社発行)等によっても認めることができ、
さらに、申立人の提出に係る証拠に徴してみても、・・・「コーンフラワー」、「ハードフラワー」、「ストロングフラワー」等にみられる如く、「フラワー」の文字が、他の文字と結合され一体のものとして用いられているといえるばかりでなく、「フラワー」の文字のみをもって、小麦粉又は粉状の商品を表示するものとして普通に使用されているという事実を立証するに足りる資料は見出し得ない。
(甲7~143号証、乙4~52号証といった請求人の提出証拠に徴すれば)、本願商標「フラワー」は、請求人が、その業務に係る商品「小麦粉」について、大正時代から継続して永年使用した結果、現代においては同人の業務に係る前期商品を表示する商標として、取引者及び需要者の間に広く認識されるに至ったものといえる。
・・・かかる事情に鑑みれば、本願商標は、その指定商品中の「小麦粉」の普通名称であるとはいい難く、また、商品の品質・形状等を表示するにすぎないものともいえないから、その指定商品について使用しても、自他商品の識別標識としての機能を果し得るものとみるのが相当であり、かつ商品の品質の誤認を生じさせるおそれがあるということもできない。
うーん、これは、日清製粉の全面勝利ですね。
特に「確かに辞書に『フラワー』は小麦粉の意味で載っているけど、日清製粉はその前から自分の商標として使っているね」という認定や、「日本製粉もいろいろと証拠を出したけど、『コーンフラワー』みたいな結合商標での使用例ばかりだし、『フラワー』が単に小麦粉という意味として使われている例は見当たらない」という認定は説得力があり、圧勝だといえそうです。
そして同日にもう1通、「拒絶査定不服審判に対する審決」です。
結論は、「原査定を取り消す。本願商標は登録すべきものとする。」
理由付けを見てみると、
本願商標は「フラワー」の片仮名文字よりなるところ、もとより「フラワー」の語は、「花、草花」の語義を有する外来語として明治時代から世人に知られ親しまれてきたものであり、
かつ、請求人が当審において提出した証拠(甲7~143号証および乙4~52号証)に徴すれば、本願商標「フラワー」は、請求人が、その業務に係る商品「小麦粉」について、大正時代から継続して永年使用した結果、現在においては同人の業務に係る前記商品を表示する商標として、取引者及び需要者の間に広く認識されるに至ったものといえるところである。
かかる事情に鑑みれば、本願商標は、その指定商品中の「小麦粉」の普通名称であるとはいい難く、また、その事実を立証するに足りる資料も見出し得ないところであるから、その指定商品について使用しても自他商品の識別標識としての機能を果し得るものとみるのが相当であり、かつ、商品の品質の誤認を生じさせる恐れがあるともいえない。
したがって、・・・原査定の拒絶理由は適当でなく、その理由をもって拒絶すべきものとすることはできない。その他、本願について拒絶すべき理由を発見しない。
「フラワー」には確かに小麦粉の意味はあるが、「小麦粉」の普通名称であるとはいい難く、また日清製粉の永年使用の結果、同人の小麦粉商品の商標として広く認知されているから、識別標識としての機能を果たす。だから登録を認めるというのは、先ほどの「登録異議申立てに対する決定書」と同様の理由付けですね。
かくして、日清製粉の12年もの戦いは幕を閉じ、1992年11月30日、「フラワー」商標が登録されたのです(商標登録2477054号)。
おわりに~なぜ「フラワー」を商標登録できたのか?
さて、出願から登録査定まで、長い「フラワー」商標の歴史を紐解いてきました。
本記事のスタートは、小麦粉の英訳としてカタカナ語辞書にも掲載されている「フラワー」をなぜ独占的に商標登録できたのか?という謎でした。そこで登録できた理由を、あらためて総括してみましょう。
<小麦粉に「フラワー」商標登録が認められたワケ>
- 辞書に「フラワー」が掲載される以前、大正時代から日清製粉が「フラワー」商標を75年もの長きにわたり使用し続けてきたことを社史で立証した。
- 全国規模で宣伝広告を行ってきたことを、雑誌・新聞のコピー、TVCMの放映証明書などで立証した。さらに業界シェアNo.1商品であることもデータで立証した。
- 取引先49社からの声明書を会社印付きで取得し、業界内にも広く「登録を認めて良い」という認識があることを立証した。
途中、ライバルメーカーからの「そんな登録、許さない!」という異議申立もありましたが、大量の証拠でねじ伏せています。
やはり証拠の量(件数)&質(説得力)のコンビネーションは、本件のような一般名称的な商標の登録には必須となるようです。まさに「論より証拠」の世界ですね。
謎が解けて満足・・と思っていたところ、複写作業の請求書が資料に同封されているのに気付きました。
コピー代で7912円!?うーん、皆さんも資料の複写しすぎには気を付けましょう。。