Toreru Media は【毎週火曜日】+α で更新!

浅草「来々軒」創業当時の味とは?日本食を変えた文化遺産を巡る ~ラーメン商標記 3杯目

日本の国民食になったラーメンのあれこれを、商標を切り口に巡っていく「ラーメン商標記」シリーズ。

第2回では日本におけるラーメンブームの火付け役といわれる、浅草の中華料理店「来々軒」の歴史や、商標情報を掘り下げました。

ここから始まるラーメンブーム!浅草「来々軒」の伝説 ~ラーメン商標記 2杯目 Toreru Media

今回は、さらに「来々軒」の元祖の味や、その功績を追い求めて、岐阜まで足を延ばします!

1、浅草「来々軒」とはどんな店だった?

まずは前回の調査の振り返りから。

  • 浅草「来々軒」は明治43年(1910年)創業、太平洋戦争の影響で浅草の地では閉店。戦後、八重洲・内神田に移転するも昭和51年(1976年)に廃業した。
  • 浅草「来々軒」創業者の尾崎貫一氏はかつて横浜税関に勤めており、退官後に生まれ育った浅草に帰郷して中華料理店を開店。中華街で見られた「豚蕎麦」を原形に、醤油味・日本風にアレンジした「支那そば」を提供し、観光地化するほどの名声を博した。
  • ラーメン店といえば「来々軒」という認識は、人気小説や漫画、アニメ(サザエさんなど)の劇中で「来々軒」が度々登場したため、日本中に広がった。近年の電話帳で確認できるだけでも「来々軒」の屋号は171軒残っている。
  • 「来々軒」の商標登録は、特許庁の審査で【指定役務中「飲食物の提供」との関係において、中華料理を提供する店の店名として多数使用されているもの】と認定されており、標準文字では識別力がないものとして登録できない。一方、ロゴ化すれば登録する余地はあり、2021年に尾崎氏の子孫が浅草「来々軒」のかつての看板を商標登録している。

登録6466517

・2021年の商標登録は「来々軒復活プロジェクト」の一環であり、2025年2月現在、新横浜ラーメン博物館で、当時の資料や証言をもとにできるだけ再現した「らうめん」を食べることができる。

筆者訪問・撮影(以下写真同様)

ということが分かっています。

ただ、ここで残された疑問は「新横浜ラーメン博物館の『らうめん』は、確かにノスタルジックな東京醤油ラーメンとして美味しいけれど、浅草『来々軒』でこれほど現代に通用するラーメンを、開業当時から出していたのか?」という点です。

何せ、浅草「来々軒」の創業は115年前。その後に2回の移転も経て、閉店まで66年も営業しています。激動の明治・大正・昭和を経るうちに人々の味覚も変わっていったはず。

初期の浅草「来々軒」のらうめんは、もっと原始的な味だったのでは?という疑問から、今回の旅を始めましょう。

2、直系!祐天寺「来々軒」&千葉穴川「新来軒」を巡ろう

来々軒の歴史を語る上で、外せない店の1つは祐天寺「来々軒」です。

商標目線では、

商願2017-117146(出願取下)

祐天寺「来々軒」の経営会社が「元祖 東京ラーメン 来々軒」を出願したところ、来々軒は中華料理を提供する店名として慣用されており、識別力が弱い語であるとして、審査官により登録は拒絶されました。その後、出願は取り下げられています。

識別力なしを理由とする拒絶であれば、商標登録はできなくとも使用することは可能ですからそれで十分と判断されたのかもしれません。

ともあれ、お店に向かってみましょう。

やってきました、祐天寺「来々軒」。かつて浅草「来々軒」で料理長をされていたという傅興雷氏が暖簾分けを受けて独立、祐天寺に店を構えたという歴史があり、正当な後継店の1つと言えるでしょう。(参考:ラーメン史コラムvol.2

店内にも「全国来々軒のルーツ」という看板が誇らしげに踊っていました。メニューは豊富ですが、今回の目当てはやはりノーマルなラーメン。オーダーして待つことしばし・・。

来ました!こちらが祐天寺「来々軒」の醤油ラーメンです。

昔ながらのストレート細麺、スープは鶏ガラベースですが深みがある味。ラーメン博物館の浅草「来々軒」よりも素朴ながら、より懐かしさを感じます。

お店のHPによれば「国産鳥ガラ7割+国産豚ゲンコツ3割の、あっさりとしたコクのあるスープ」とのことでした。注目すべきはメイン具材のチャーシュー。

昔ながらの焼豚で、吊るし焼きされた香ばしいタイプ。祐天寺「来々軒」は地元に愛される中華料理店として長く繁盛しており、その実力を感じました。

正統派「東京ラーメン」の王道として美味しくいただきましたが、更に調べていくと今の店主(創業者の孫)が、霞が関の東京會舘で修行していた経験を活かし、おじいちゃんの味を半分ぐらいは変えてアップグレードさせたとのこと。

その際に醤油ラーメンもアップグレードされたかは不明ですが、創業者である傅興雷氏も酢豚・揚げワンタンなど様々な中華料理を得意とした料理人だったそうですから、こちらの醤油ラーメンは祐天寺「来々軒」の味として、進化・確立したものと言えそうです。

他にも、浅草「来々軒」の直系のお店としては千葉の穴川に「進来軒」があります。商標登録は見つかりませんでしたが、せっかくのルーツ巡り、足を伸ばしました。

こちらは八重洲移転後の「来々軒」で勤務されていた店主が独立し、昭和43年に開業したお店とのこと。

魅力的なランチメニュー、そしてセットメニューが掲示されていました。ラーメンはマストとして、チャーハンも餃子も食べたい・・・。そこで、Bセットに餃子も追加するという荒業に出ます。

来ました!こちらが新来軒のスペシャルセットです。どれも艷やかで美しい・・。

こちらが新来軒の醤油ラーメンです。早速スープを啜ると、祐天寺「来々軒」よりも生醤油が立ったシャープな味。豚足や鶏ガラといった祐天寺「来々軒」でも見られた動物性のスープがベースのようです。

麺は軽くウェーブがある中細麺で、スープと良く合っていました。米粒パラパラのチャーハンや、ジューシーな餃子ともベストマッチ。店主は80歳を超えるご高齢で、現在は昼のみ営業となっており、今訪れておくべき名店と言えるでしょう。

さて、2つの「来々軒」の系譜を巡ってみて、どちらのお店のラーメンも美味しく、昭和ノスタルジーを感じました。一方で、これらのラーメンが明治初期にすでに完成していたかはやはり疑問です。

ここまで昔の味を追ったからには、創業期の「来々軒のラーメン」を食べてみたい・・・と思っていたところ、新しい手掛かりがありました。

3、オリジンを追い、岐阜「丸デブ総本店」に渡る

浅草「来々軒」には、かつての従業員が開業した直系の店が3つあります。2つは先程紹介した祐天寺「来々軒」と、穴川の「新来軒」。そして最後の1つが岐阜の「丸デブ」です。

祐天寺「来々軒」は昭和8年、穴川「新来軒」は昭和43年とやや時代が進んだあとに開業したのに対し、岐阜「丸デブ総本店」は大正6年と、浅草「来々軒」の開店からわずか7年後に開業しています。

さらに、店主のインタビューでも

「大正時代の岐阜の人間が、なぜ東京の浅草に行ったのか。そのあたりの経緯はよくわからないのですが、ともかく『来々軒』で習った味を地元に持ち帰ってきた。それが当店の始まりだと聞いています」

メニューは今も昔も「中華そば」と「わんたん」の2種類のみ。どちらのツユも、鶏ガラでダシをとった昔ながらの醤油味だ。「うちは創業のときからこの味。まったく何1つ変えていません」と利夫さんは胸を張る。
【第25回】2017年で創業100周年!大正時代から変わらぬ味の中華そばが食べられる「丸デブ 総本店」|ウォーカープラス

と、昔の味のままであることが明言されています。

つまり、浅草「来々軒」の創業期の味は、岐阜の地で今も息づいている可能性が高いということ。新幹線で向かいましょう!

名古屋駅で新快速に乗り換え約20分。岐阜駅に到着です。

岐阜城のお膝元、岐阜公園前には、オンダ国際特許事務所の本社がそびえていました。

公園には信長の居館跡もありました。ロープウェイで登った先には「金の信長像」もあり、岐阜は信長推しのようです。さて、観光はこれぐらいにして・・

やってきました、「丸デブ総本店」!のれんに“登録商標”の文字が踊っています。店内に進むとほぼ満席でしたが、首尾よく席がありました。

見渡すと年季が入った表札と、何やら額縁が。

これ、商標登録証だ・・・!データベースでも、登録6363898号が確かにありました。登録商標であることを店頭でPRしているケースは度々ありますが、登録証まで飾られているケースは珍しい。なんだかテンションがあがります。

メニューは「中華そば」か「わんたん」の2択。迷わず「中華そば」をオーダーし、待つことしばし。

来ました!これが岐阜「丸デブ総本店」の中華そばです。これまでのラーメンとは全く違うビジュアルです・・・!

横から見てみれば、汁はなみなみと、具はチャーシューとカマボコ。ラーメンを頼んだら、蕎麦が来てしまったような錯覚を覚えます。スープを啜ってみましょう。

日本そばの汁に近いのですが、そこに鶏ガラと生姜の味わいが加わります。豚の味は感じず、純和風のスープです。

見た目は蕎麦感がある麺は、口にいれるとしっかりと小麦の旨味が。こちらは自家製麺だそうです。ツルッと喉越しもよく、ボリュームがあってもどんどん食べられます。

チャーシューは小ぶりなモモ肉が3枚。脂っこくなく、こちらもさっぱりと頂けます。食べ進んで感じたのは、これは「ラーメン」ではなく、お品書き通り「中華そば」。日本そばとラーメンの中間地点です。

初めて食べる味であり、私はこの一杯にノスタルジーではなく、むしろ「新しさ」を感じました。「丸デブ総本店」の中華そばは、東京ラーメンに進化する前のプロトタイプであり、原点だといえるでしょう。

4、旅の終わりに~大宮南銀座「来々軒」に繋がる大衆食の精神

岐阜から東京に戻って、最後に行っておきたい「来々軒」がまだありました。

さいたま市の中心地、大宮駅です。東口から歩くこと数分。

ありました、大宮南銀座「来々軒」です。よくある中華料理店に見えますが、この店は日高屋グループの原点。1973年に創業者が中華料理店「来々軒」をさいたま市大宮区宮町に開店したのが日高屋グループのはじまりで、第1号店は移転・閉店を挟みつつも、2022年に現在の店舗に移り、元気に営業しています。

日高屋グループの中では中華料理店に寄った位置づけの「来々軒」ですが、もちろん中華そばもあります。物価高の時代に税込430円。半チャーハンを付けても720円と最強のコスパです。

中に入って注文し、待つことしばし。

来ました、大宮南銀座「来々軒」の中華そばです!

お味は・・・うん、普通に美味しい。鶏ガラベースのスープですが、これまで回ってきた各店よりは醤油の味は抑えめ、魚介出汁が強めの優しい味です。

このラーメン、実は創業時から時代のニーズに合わせて味は小まめに変えているとか。飲んだあとの締めや、セットメニューの相棒という位置づけも大きいのと、万人に愛されるチェーン店という役割から、まろやかな味に変わっていったのでしょう。ただ、スープを飲むと脂も効いて、ラーメンらしいボリュームも十分あります。

麺もオーソドックスな中細のちぢれ麺で、クセがありません。少し前は税込390円だったので、この「普通に美味しい」コスパはすごいですね。

登録6528877

商標も、グループの運営会社である(株)ハイデイ日高の名義でしっかりと登録されていました!

・・・完食して、来々軒が与えた影響について改めて考えてみます。

大宮南銀座「来々軒」は、浅草「来々軒」と師弟的な繋がりはありません。一方で、(株)ハイデイ日高が経営する飲食店は「日高屋」をはじめ449店舗(2024年2月時点)と日本中に広がっています。

安い・早い・美味いという大衆料理としてのラーメンを全国区で体現するグループの原点が「来々軒」という屋号で始まったのは、もちろん浅草「来々軒」の影響であり、そのブランドパワーに他ならないでしょう。

大宮南銀座「来々軒」で出される中華そばは、浅草「来々軒」の初期の味から遠くに来ているのかもしれませんが、お客や時代のニーズに合わせて、味やブランドがそれぞれに進化していくことがラーメンの魅力です。

そして、来々軒の中華そばは、現在見られる麺・スープ・具を妥協なく作りこんだ、いわゆる「ハイスペック醤油ラーメン」の流行に繋がり、日本のラーメンファンだけでなく、多くの観光客を世界から呼び寄せています。

新横浜・祐天寺・穴川・岐阜と日本各地で愛される直系店はもちろん、日本中で味わうことができる「日高屋」グループ、さらには世界へ広がるラーメンブームへの影響を考えると、浅草「来々軒」の文化的な功績はとても大きいものだと思うのです。

ーーーーー

※深く来々軒の系譜を調査され、「丸デブ総本店」に到達するための知見を与えてくださった「拉麺歴史発掘館」の故ぶるぢっちゃん様の先行研究に敬意を示し、本記事を締めくくります。ありがとうございました。

【1】 明治の味を紡ぐ店 ~謎めく淺草來々軒の物語 最終章~ – 拉麺歴史発掘館

Toreru 公式Twitterアカウントをフォローすると、新着記事情報などが受け取れます!

押さえておきたい商標登録の基本はコチラ!