日本最大級(たぶん)のスタートアップ知財コミュニティsuiPによる、「スタートアップ知財のリアルとナレッジを語る連載」をToreru Mediaでお届けするsuiP知財worksシリーズ。
第2回連載は、「自社にも知財機能が必要かも知れない。でもいくらかかるの?」とお考えの皆様に、知財機能の立ち上げにどのような人材と費用を要するのか、具体的な試算を通してお伝えしたいと思います。
目次
執筆suiPメンバー紹介
菅井匠さん:株式会社クーリエに勤務しています。
新卒でいすゞ自動車の知財部に配属し、その後メーカー数社の知財部や知財ファンドを渡り歩き、スタートアップの知財コンサルティングなども経験してきました。
グループ10万人の大企業からスタートアップまで、また特許から商標、著作権、営業秘密に至るまで、更に発明発掘から権利活用、知財管理、契約まで、企業側のあらゆる知財業務に関わった経験を持っています。
1. スタートアップにとっての「知財機能」の存在意義
皆様、もしご自身がスタートアップを立ち上げるとなったら、社内にどのような「機能」を揃える必要があると思いますか?
まず最初に、主力商品を生み出す「企画機能」や「開発機能」、そして顧客に繋ぐ「営業機能」を備え、次に「経理財務機能」や、現代の企業活動に欠かせない「情報システム機能」を立ち上げる。
その次に「人事総務機能」や、顧客対応などを含む「品質保証機能」を揃えた後で、ようやく知財や法務、内部監査といった機能を自社で構築すべきか検討するのではないでしょうか。
実際、私がお付き合いしてきたスタートアップは、このようなステップを経て知財機能を備えるに至った会社が多いです。
ではなぜスタートアップでは、知財機能の整備が後回しとなってしまうのでしょうか。
一番に語られる原因は、「スタートアップの事業化に向けた知財戦略の構築を支援する人材」の絶対数が少なく、その人材確保が難しい点でしょう。
※「高度知財人材の戦略的な育成・活用を巡る課題」(内閣府 知的財産戦略推進事務局)参照
これだけでなく筆者は「経営者が、社内に知財機能を持つ事のメリットを認識しづらい」のも大きな要因ではないかと推測しています。
とはいえ、知財は、「後で取り返すことのできない資産」です。特許権や意匠権は新規性が必須要件であり、営業秘密は管理方法が適切でないと権利として認められません。
さらに、権利成立から数年後、問題が起こったときにはじめてその価値が発揮されるという「成果が出るまでに時間がかかる資産」でもあります。
適切なタイミングで権利取得を行わなければ、IPO等において投資家から高い企業価値評価を得るチャンスを失う、あるいは類似の商品・サービスを展開する競合他社を排除する事ができなくなるなどの機会損失に繋がります。
よって、内部事情を正確に把握し、しっかりと権利を確保できる知財機能を担える人材を早くから迎えておく事は、スタートアップの企業価値の向上に直結すると言っても過言ではありません。
この存在意義を踏まえ、本記事では、スタートアップが新しく知財機能を立ち上げるにあたって、「スタートアップの知財機能立ち上げに求められる業務」と「知財機能を持つための予算と費用対効果」の部分に焦点を当てたいと思います。
2. 「知財機能」の構成要素と求められる人材
さて、一口に知的財産権と言っても、特許権・意匠権・商標権・著作権・営業秘密など様々な権利が存在し、さらにスタートアップ各社の業態によって必要となる知財スキルの種類が変わってきます。

また、知財機能が担うべき業務という視点では、大きくは「戦略立案(特許調査含む)」「権利取得」「管理」「活用」の4つの要素に分類できるでしょう。

では、既に知財機能を持つスタートアップでは、これらの知財業務を誰がどのように対応しているのでしょうか。
当然、権利取得・管理・活用など、各業務ごとのスペシャリストをアサインできれば「強い知財機能」を作れるでしょう。ただ、多くのスタートアップでは知財業務それぞれの発生頻度は少なく、また予算も限られますので、大企業のように潤沢な人員を知財機能に揃えるのは現実的ではありません。
よって、これから知財機能を立ち上げるスタートアップに適した人材は「1つの知財業務について集中的な仕事をするのではなく、幅広い知財業務に対応できるスキルを発揮できる人材」となります。
具体的には、まず「ひとり知財」として総合窓口を務め、本人が自ら情報を取りに行き、知財ツールを使いこなして各業務をしながら、必要に応じて特許事務所・法律事務所・調査会社など外部のリソースを活用していくという体制作りが求められます。
現在、日本政府や経産省、特許庁といった国の機関も、高度知財人材を増やし、スタートアップの成長を促進したいと考えています。
ただ、スタートアップに適した知財人材は上記のような総合窓口的な役割を求められる一方、知財経験者の出身母体として圧倒的に多い大企業では、1つの業務のスペシャリストとして経験を積んだ人材が多く、採用段階でスタートアップにベストマッチする人材を獲得することはハードルが高い現状です。

「高度知財人材の戦略的な育成・活用を巡る課題」(内閣府 知的財産戦略推進事務局)より
とはいえ、suiPメンバーの多くも、前職でスペシャリズムを磨き上げた人達がスタートアップに移った後で幅広い視野を身につけています。
ある程度知財経験を下地に、「これまでのキャリアでは専門外であっても、必要に応じて柔軟に対応していく」といったマインドチェンジができる方こそ、スタートアップ適性の高い知財担当者であり、そのような方を見極めて迎え入れることが重要ではないかと考えます。
次項では、知財機能を立ち上げるにあたって、「必要な業務」「それに要する費用」「費用対効果」について具体的に試算していきます。
3. スタートアップが「知財機能」を持つための年間コストは?
スタートアップの知財機能立ち上げに際し、どんな費用が想定されるかを分かりやすくするため、「ひとり知財担当が、幅広く動く」ことを前提として、条件設定していきます。
◆スタートアップ知財機能立ち上げモデルケース
- 知財担当者は1名
- 必要最低限の有料ツールを契約
- 知財分析と他社知財調査・出願前調査は自社で行う
- 年間に特許出願3件(日本のみ)、商標出願は1件(日本のみ)を想定
出願件数は企業によって異なってきますが、立ち上げとしては標準的なケースでしょう。
知財コストの主な構成要素は「①人件費+②専門ツール使用費+③権利取得費」で表せます。
最初に必要となるのは、①知財担当者の人件費です。人材紹介会社の知財関連求人で、担当者またはマネージャーレベルの案件を見ると、想定年収800-1000万円程度の案件が多いです。そこで、該当者の報酬を900万円/年とし、福利厚生費や社会保険料等の会社負担分を報酬と同額の900万円/年と仮定します。
ここから、1人当たりの人件費は1800万円/年となります。
次に、②専門ツール使用費が必要です。これには自社で契約する
A.特許管理ツール
B.特許検索(調査)ツール
C.特許分析/情報取得ツール
などが挙げられます。
昨今では官公庁の無料ツールも充実してきたため、極論すればお金をかけずとも何とか知財業務をこなす事は可能です。
例えば、A.検索ツールに関しては
- J-Platpat(日本特許庁の特許・実用新案・意匠・商標検索システム)
- Espacenet(欧州特許庁の特許検索システム:日本語対応、欧州以外の国も検索可能)
- Patentscope(WIPO:世界知的所有権機関の特許検索システム)
- Global Brand Database(WIPOの商標検索システム)
などが誰でも使用できます。
ただ、無料検索ツールの場合は、検索情報のダウンロードや結果の見せ方に難があるため、例えばtokkyo.AIなどの有料ツールを利用した方が特許調査業務がスムーズに進む事も多いです。業務効率を考え、有料ツールを採用し、使用料を5万円/月とします。
B.管理ツールは、自社権利が少ないうちは、特許事務所や年金管理会社(登録になった知的財産権の管理を請け負う会社)に管理を任せ、自社ではスプレッドシートで把握するのでも対応可能です。
ある程度件数が増えてきた場合、スプレッドシートでの管理がやりづらくなってくるため、Root IPなどの数万円/月で提供されている管理ツールが有用です。立ち上げ時点の試算なので、ここでは有料ツールを使用しないとします。
C.特許分析ツールについては、以前は年間数百万円で契約する高額なサービスが多かったのですが、最近は小規模事業者向けのサービスも積極的に展開されています。上で述べたtokkyo.AIやPatentfield AIRなど、月額5万円以下で利用できるサービスもあります。特許分析は知財業務において重要な活動なのでツールを採用し、使用費は5万円/月とします。
よって、②専門ツール使用料は年120万円(検索ツール・分析ツールの合算)です。
次に、③実際に権利を取得するための費用(日本特許3件と商標1件)を試算します。
特許出願に要する費用は、日本弁理士会のWebサイトによると、日本国で特許を1件出願する場合の審査請求までの費用は50万円程度です。
特許出願は審査請求後に拒絶理由通知(先行例があるなど、何らかの理由で特許査定ができない場合に特許庁が発行する通知)を受けることが通常です。3件のうち2件がこれを受領すると仮定した場合、その対応(中間処理)に1件30万円程度が見込まれます。更にその2件のうち1件は、拒絶理由の解消に2回目の応答を要すると仮定し、20万円を上乗せします。
その後、特許査定が出て特許権登録をする場合、代理人に成功謝金を支払い、特許庁に登録費用を納付します。これらの費用が1件20万円ほど要します。
以上の費用を計算すると、出願費用(50万円×3=150万円)+中間処理費用(30万円×(2+1)=90万円)+登録時費用(20万円×3=60万円)となり、仮に1年で登録まで至った場合、300万円程度の費用が見込まれます。
※生成AIツール活用によって、もう少し金額を抑える余地はありますが、標準的な金額で試算しています。
商標については、Toreruのサービスを参考に、1件あたり15万円程度(5年分の登録料を含む。商品区分の数によって変動あり)と仮定します。
これらの③権利取得費用を合計すると、300万円(特許費用)+15万円(商標費用)=315万円になります。
よって3つの費用を合算すると、
- 人件費:1800万円(福利厚生費・社会保障費等含む)
- 専門ツール使用費:120万円
- 権利取得費用:315万円
となり、合計2235万円/年がスタートアップの「知財機能にかかる年間費用」と導き出されます。

4. おわりに~知財コストはスタートアップに見合うのか?
スタートアップが知財機能に2000万円を超える金額を投資するのは、ほとんどの経営者にとってハードルの高い話に見えてしまうでしょう。
しかし上で述べたように、知的財産権は「後で取り返すことのできない資産」です。
本来取得できたはずの権利を取り逃し、その権利があれば排除できたはずの競合にシェアを奪われる、競合などから知的財産権侵害の警告状が届いたときの対抗手段を持てない等により大きな損失が生じ得ます。
具体的には、損害賠償により「主力製品の売上高の2-3%を支払わざるを得ない事態に陥る」、「競合とのいたちごっこに陥る」「moatを説明できず企業価値を高く評価してもらえない」等の結末から「知財機能を持たなかったことにより、数千~数億円を失った」事に後から気づく例は数多く存在します。
したがって、その金額感に比べると知財機能を作るのに2000万円をかけるのは、継続コストとはいえ一定の合理性があるのではないでしょうか。
なお、それでもどうにか費用を低額化したい、または出願数が少なく、社内に知財担当一人分の仕事がない場合もあるかと思います。
そのような場合は、知財機能のコストの大部分は人件費ですので、知財業務以外も兼務で幅広く担当できるような人材を採用することで実質的な知財機能に関するコストを下げることも可能です。
☆SuiPメンバーの1人である木本さんが社内で業務を「兼務」している例
企業内弁理士が知財と広報を「兼務」して見えた一致点と相違点~知財はマラソン、広報は100m走! | Toreru Media
また、あなたの知財部など、外部の弁理士による社内知財機能と遜色ない働きを期待できるサービスを提供している企業もあります。そうした外部サービスを活用し、社内に人員を置かず社内知財機能を補うのも良い方法だと思います。
このような外部サービスは人件費に比べると低額であり、特に出願数が少なく工数が安定しない初期には特にマッチするでしょう。
ただ、やはり社内と社外ではコミュニケーションコストやタイムリーさ、カルチャーフィットにやや差が出てしまうことは否めず、また、予算周り等の外部に任せづらい業務のための社内窓口を置く必要が出ることには留意が必要です。
知財は「成果が出るまでに時間がかかる資産」でもあります。継続することで、企業価値の向上という効果が期待できますので、幅広い視点で見ていただき、「知財機能を作るための費用も決して高いものではない」と思っていただければ幸いです。