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技術文書の秘訣は「村上春樹」にあり ~特許翻訳者が見た「実務で活かせる」文章術~

特許翻訳者として、これまでたくさんの特許明細書を翻訳してきました。16年の翻訳経験から、弁理士さんをはじめとする技術文書に関わる方に「ぜひお願いしたい!」と思っていることがあります。

それは「村上春樹のように文章を書いてほしい」ということ。

村上春樹のような文章?「やれやれ」とか「好むと好まざるとにかかわらず」とか?技術文書をそんなふうに書けるわけないでしょ。

そう思われるかもしれませんが、技術文書に「やれやれ」と書いてほしい、というお願いではありません(あたりまえ)。

では「村上春樹のように技術文書を書いてほしい」とはどういう意味なのか。今回は、それについてお話したいと思います。

ゲストライター紹介

み・カミーノさん:特許翻訳歴16年のフリーランス翻訳者&ときどきライター。おもに通信・情報、電気・電子、機械分野の明細書を英語に翻訳しています。ライフワークは書くこと、ゴスペル、国際交流。仕事の話、日々の気づき、エッセイなどをnote (https://note.com/bousuku_keyman)に書いています。

1、そもそも村上春樹のような文章とは?

短文でシンプルである

村上春樹の作品の特徴は「平易な文章」です。1文が短く、シンプルで読みやすい。いくつか例を挙げてみましょう。

長編小説「ダンス・ダンス・ダンス」では「羊男」が次のように語るシーンがあります。

“踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。
意味なんてことは考えちゃいけない。”

また、海外を含めダントツのベストセラーである長編小説「ノルウェイの森」には、こんな表現が出てきます。

“欲しいものはとるし、欲しくないものはとらない。
そうやって生きていく。
駄目だったら駄目になったところでまた考える。”

このように、村上春樹はシンプルな1文を重ねていくので、読者はスムーズに読むことができます。

村上春樹の文体はどうやって生まれたのか?

村上春樹ファンには有名な話ですが、彼の「平易な文章」は英文と密接な関係があります。あの独特の文体が生まれた背景として、たびたび話題になっているのがコチラ。

デビュー作「風の歌を聴け」を書いているときのエピソードです。

“書き上げたものを読んでみると、自分でもあまり感心しない。「やれやれ、これじゃどうしようもないな」とがっかりしました。(中略)万年筆と原稿用紙が目の前にあると、どうしても姿勢が「文学的」になってしまいます。そのかわりに押し入れにしまっていたオリベッティの英文タイプライターを持ち出しました。それで小説の出だしを、試しに英語で書いてみることにしたのです” 

(村上春樹「職業としての小説家」より引用)

“もちろん僕の英語の作文能力なんて、たかがしれたものです。限られた数の単語を使って、限られた数の構文で文章を書くしかありません。センテンスも当然短いものになります。(中略)英語で書き上げた一章ぶんくらいの文章を、日本語に「翻訳」していきました(中略)するとそこには必然的に、新しい日本語の文体が浮かび上がってきます。それは僕自身の独自の文体でもあります。僕が自分の手で見つけた文体です” 

(村上春樹「職業としての小説家」より引用)
村上春樹の書籍

つまり村上春樹は、一章くらいの文章をまず英語で書き、それを日本語に戻すという方法を試してみました。彼の、あの独特の文体が生まれたのはそこからです。

日本語で文章を書くとき、日本語だけの視点で書くのと、少なからず「英語」の視点を意識して書くのとでは、できあがる文体や論理構造はあきらかに違います。

村上春樹の小説の多くが外国語に翻訳され、海外でも人気がある理由の1つは、その「平易な文章」にあると感じています。なぜなら、平易な文章は翻訳しやすく、書き手の意図が伝わりやすいからです。

これをふまえ、特許翻訳者である私から弁理士さんをはじめとする技術文書に関わる方に、お願いしたいことがあります。

それは、村上春樹のように、1文が短く、分かりやすく、読みやすい文章を書いてほしいというお願いです。シンプルな文章は翻訳しやすいだけでなく、意外なメリットがあります。

2、技術文書をシンプルに書くメリットとは?

弁理士さんをはじめとする技術文書に関わる方に、翻訳しやすいシンプルな文章を書いてもらいたい理由は「私の仕事が楽になる」・・・だけではありません。

以下のような3つのメリットがあるからです。

①     技術系英文ライティングのキーワード「3つのC」を満たすから

技術系英文ライティングのキーワード「3つのC」をご存じでしょうか。

(1)      Correct (正確に書く)
(2)      Clear (明確に書く)
(3)      Concise (簡潔に書く)

特許明細書を含む技術系英文ライティングの目的は、読み手に内容を正しく伝えることです。すばやく読めて、パッと理解できるように書く必要があります。

(1)      Correct(正確に書く)は、文章全体の信頼性を高めます。
(2)      Clear(明確に書く)により、読み手は内容を理解しやすくなります。
(3)      Concise(簡潔に書く)により、冗長な表現は減り、明快な文章になります。

翻訳された英文明細書が「3つのC」を満たすためには、日本語の明細書を「3つのC」を満たすように書くことです。

「3つのC」を満たす英文明細書には、分かりにくい構文はありません。簡潔で平易な文章です。1回読めば内容が分かる文章は、読み手の負担を減らします。

②     分かりやすい英文明細書は、外国特許庁での審査がスムーズ

分かりやすい英文明細書は、外国特許庁での審査で有利です。なぜなら、英文明細書を読む審査官に発明の内容が伝わりやすいからです。

反対に、係り受けが複雑な文章、冗長な文章、あいまいな文章は、審査官に余計な解釈の余地を与えてしまいます。その結果、意図しない手続きが増える可能性が高くなります。

ここでいう「意図しない手続き」とはOffice Action (日本特許庁の“拒絶理由通知書”などに相当する)のこと。簡単にいえば、特許庁から出願人に通知される、審査結果報告のようなものです。

外国特許庁の審査官は英文明細書を読み、特許出願を審査します。審査の結果、その出願が特許の要件を満たしていないと判断した場合、審査官は「このままでは特許登録できませんよ」と通知してきます。

英文明細書が分かりにくければ、発明の意図や内容が適切に伝わりません。したがって、審査官は十分に審査ができません。発明の内容が分からないのですから。

その場合、審査官は出願人にOffice Actionを発行し「発明の内容が分からないので、もっと分かりやすく説明しなさい」と通知します。

英文明細書が分かりやすければ、このステップは不要になる可能性が高く、外国特許庁での審査はスムーズに進みます。つまり、特許出願が早く認可される可能性が高くなります。

③     分かりやすい英文明細書は、コスト削減になる

分かりやすい英文明細書は、審査がスムーズに進みます。つまり、分かりにくい英文明細書と比べると、特許出願が認可されるまでの工程数が少なくてすみます。

工程数が少なければコストは下がる。これは、ほとんどの業界に当てはまりますよね。もちろん、同じことが特許業界にもいえます。

外国で特許権をとるために出願するとき、出願国で資格をもつ弁理士や弁護士(これを“現地代理人”という)に手続を依頼する必要があります。外国特許庁と直接やりとりできるのは、現地代理人だからです。

現地代理人の費用は、基本的にタイムチャージです。費用は、現地代理人の作業時間や作業負担に応じて変動します。 

審査がスムーズに進めば、工程数は減ります。工程数が少なければ、外国特許庁に支払う費用も、現地代理人に支払う費用も減ります。

 つまり、英文明細書が「3つのC : Correct, Clear, Concise」を満たしていれば、結果的に出願人にとって大きなコスト削減になるのです。

3、特許翻訳者が思う「翻訳しやすい明細書」とは?

いままで多くの翻訳を手がけてきましたが、翻訳しやすい明細書とそうでない明細書があるな、と感じています。

ここからは私の個人的な見解です。

翻訳しやすい明細書は、村上春樹の文章のように、他の言語に翻訳することを前提として書かれています。具体的には次のような特徴があります。

  1. 1文が短い
  2. 主語・動詞・目的語が明らか
  3. 修飾語の係り受けがシンプル
  4. 文章が論理的
  5. 一文一義(1つの文章に1つの事がらだけを書く)になっている
  6. 「~であろう」「~と思われる」「ほとんど」などのあいまいな表現が少ない
  7. 「したがって」「また」「ゆえに」などの接続詞を多用しない
  8. 「促進する」「強化する」などの抽象的な表現が少ない

日本語でこのように書かれていれば、技術内容が難しくても翻訳するのに無駄な労力はかかりません。なぜなら日本語が明快だからです。

一方、翻訳しにくい明細書の特徴は正反対です。

  1. 1文が長い
  2. 主語が分かりにくい
  3. 修飾語の係り受けが遠回しで複雑
  4. 一文一義になっていない
  5. あいまいな表現が多い
  6. 文章をすべて読み終わったあとでないと内容が分からない
  7. 「したがって」「また」「ゆえに」などの接続詞を枕詞のように使う。
  8. 抽象的な表現が多い

より分かりやすように、具体例を挙げてみましょう。文章の内容は同じでも、表現のしかたによって「読みやすさ」は変わります。

翻訳しやすい文章例:

電動歯ブラシは、可動キャリアおよび静止キャリアを有する。可動キャリアおよび静止キャリアは、独立して、歯ブラシヘッドの受け入れ部材とチャネルの中で摺動的に係合する。チャネルは受け入れ部材の表面により画定されている。

翻訳しにくい文章例:

電動歯ブラシが、可動キャリアおよび静止キャリアを有し、これらが、独立に、歯ブラシヘッドの受け入れ部材と、受け入れ部材の表面により画定されたチャネルの中で摺動的に係合する。

どちらの文章が、より分かりやすいでしょうか?

比べてみると、「翻訳しやすい文章例」では1文が短く、修飾語の係り受けがシンプルです。

このように内容が同じでも、書きかたによって「読みやすさ」や「理解しやすさ」は違います。分かりやすい文章は、翻訳しやすい文章なのです。

参考までに、読んでいてこれは翻訳しやすい!と思った明細書を紹介します。

“二重管構造の紫外線照射装置とは、図6に分解図で示すようなものである。この装置は、内層管51と、外層管52とを備える。内層管51は透光性の管状体である。内層管51はたとえば石英で形成されている。内層管51は、中間部においては管状であり、一方の端が閉じている。図6に示した例では、内層管51の閉じた側の端は半球形となっている。”

特開2018-070762

どれも1文が短く、主語・動詞・目的語が明らかです。係り受けはシンプルで、一文一義になっています。あいまいな表現はなく、スムーズに読めます。まるで、村上春樹のような平易な文章ですよね。

このような文章は誤解する余地がないため、翻訳者の作業もスムーズ。したがって、「3つのC : Correct, Clear, Concise」を満たす英文明細書ができあがる、というわけです。

4、翻訳しにくい明細書をどう攻略する?特許翻訳者のプロフェッショナルな技

そうはいっても残念ながら、翻訳しにくい明細書が幅をきかせているのが特許業界です。では、翻訳しにくい明細書をどうやって攻略するのでしょうか。

ここで、実際の特許翻訳の簡単なテクニック例を紹介します。

原文:アクティブマトリクス型LCDの駆動方法には、1H反転駆動法およびドット反転駆動法がある。

① 直訳の翻訳例

There are an 1H inversion driving method and a dot inversion driving method as driving methods of an active matrix LCD.

(注)「・・・がある」を “there are“と直訳しています。

② 良い翻訳例

Driving methods of an active matrix LCD include an 1H inversion driving method and a dot inversion driving method.

(注)「~には・・・がある」を「~には・・・が含まれる」と解釈し、“XXX(複数形) include YYY.”のように、”include”を使って訳します。

英文明細書では、単語1つによって特許の権利範囲が変わることがあります。その代表的な単語が”include”です。特許業界で、”include”は非限定型(open-ended)の単語といわれます。

動詞”include“を使った場合、主語は”include”のあとに続く要素(上記の②良い翻訳例では”1H inversion driving method”と”dot inversion driving method”)だけでなく、別の要素をも含むことを排除しません。

つまり、ある発明の明細書に”S (主語) include(s) A, B, and C.”と書かれている場合、その発明では「SがA, B, Cを含む」形態は権利範囲です。また、「SがA, B, C, C’を含む」形態や「SがA, B, C, Dを含む」形態も権利範囲として認められる可能性があるということです。

 一方、上記の①直訳の翻訳例のように「・・・がある」を “there are“と訳すと、その発明の権利範囲は”there are”のあとに挙げられている要素のみと解釈されます。

このように、良い翻訳例のほうが広い権利範囲をカバーできます。

私が思う「良い翻訳」とは、発明の権利範囲を適切にカバーし、権利化後に最大限の威力を発揮し、特許侵害事件に巻き込まれないような明細書になるように翻訳すること、なのです。

むすび

今回は、弁理士さんをはじめとする技術文書に関わる方に「村上春樹のように文章を書いてほしい」という、翻訳者からのお願いについて書いてみました。

でも実はこのお願いをするにあたり、翻訳者としては大きな葛藤があるんです。

日本語の明細書が、村上春樹のような「平易な文章」で書かれるようになったら、結果的にどうなると思いますか?

それは、翻訳者にとっては、ある大きな気がかりにつながります。最近の翻訳業界で避けてとおれない「機械翻訳」に関連する話です。それについては、また別途掘り下げたいと思います。

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