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【夢幻の如く】牛丼「元」人気チェーンのその後を辿ろう~ちざ散歩 Vol.12

外食チェーンは栄枯盛衰が激しい世界です。中でも牛丼チェーン間の戦いは凄まじく、2000年頃には“第一次牛丼戦争”、2010年頃にも“第二次牛丼戦争”といわれる熾烈な価格競争がありました。簡単に当時の概要をまとめます。

・第一次牛丼戦争(1990年代後半-2000年代前半)

老舗の吉野家チェーンに加えて、松屋、すき家といった大手チェーンが台頭。400円代だった牛丼並盛が競争の激化により徐々に値下げされ、2001年にすき家が「並盛280円」という低価格をつけた。

当時は神戸らんぷ亭、牛丼太郎、たつ屋といった中堅チェーンも賑わっていたが、価格競争が激しすぎたうえに、同時期にBSEショックが発生、2003年12月にアメリカ産牛肉が輸入禁止となり、2004年には吉野家が長期間牛丼を販売休止することに。各チェーン「豚丼」などの代替商品で知恵を絞る。

急速な市場の冷え込みにより、業界は資本力がある大手チェーンに集約されていくことになる。また、牛丼の価格はいったん300円代に戻っていく。
(参考:牛丼チェーン「戦国時代」崩壊と繁栄のドラマ〜値下げ戦争、狂牛病ショック、ワンオペ…

・第二次牛丼戦争(2009-2012年頃)

BSE問題が落ち着いた2009年、松屋・すき家が通常価格の値下げに踏み切り、再び牛丼並盛280円時代が到来する。これに吉野家が「期間限定270円」で応戦、すき家が「期間限定250円」でさらに対抗するなど、過酷な価格戦争が再燃した。

2011年には東京チカラめしが「焼き牛丼」という新ジャンルで業界を席捲。一時は全国130店舗以上の勢力を誇る。牛丼戦争はメディアの注目度も大きく、業界全体が盛り上がった時期でもあった。

一方、各チェーンが「期間限定値引き」を乱発したために集客効果が薄れ、2012年にはバラ肉・米の材料費が3~5割も上昇。2012年頃から値引き競争は落ち着き、「カルビ焼肉定食」などの高価格商品に大手チェーンは力を入れていく。
(参考:牛丼“値引き戦争”は、いつまで続くのか? 食材高止まりで低価格路線に限界も

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2024年時点で、牛丼チェーンはすき家(1953店舗)、吉野家(1225店舗)、松屋(1046店舗)という大手3社に集約されました。戦国時代を経て、天下は三分された訳です。

しかし、皆さんは覚えているでしょうか。綺羅星のような牛丼チェーンたちが、当時の我々の胃袋を満たしてくれていたことを。それぞれの魅力、そして思い出がありました。

そこで本記事では商標情報を起点に、今はもう街で見かけなくなってしまったあのチェーンたちの「その後」を追いかけます。

1、神戸らんぷ亭(最盛期:約50店舗)

まず1軒目は「神戸らんぷ亭」です。

登録4014757号(2017年6月権利満了)

登録商標ですが、すでに権利消滅しています。もともと「神戸らんぷ亭」は、ダイエーグループの一員で、最盛期には約50店舗、業界売上5位まで拡大したものの、2004年頃のBSE問題の影響を受け、業績が悪化していきました。

この商標情報で注目したいのは、最終権利者がダイエーではなく、ミツイワ株式会社になっている点です。調べてみると2006年頃にIT企業であるミツイワ(株)に全株式が売却され、再建を図っていました。
ミツイワ、新生「神戸らんぷ亭」戦略 3年で首都圏100店体制

ただ、これも結局は上手くいかず、ミツイワは飲食グループの(株)マック(現:(株)ガーデン)に株式を売り渡します。ガーデンは傘下に入った「神戸らんぷ亭」の店舗をより勝算が見込める飲食ジャンルに転換、2015年7月には「神戸らんぷ亭」は全店閉店してしまいました。
※後継として「銀座らんぷ亭」が1店舗だけ銀座にあったのですが、2017年4月に閉店し、全ての「らんぷ亭」は消えています。

ということで、もうこの世のどこにも残ってないチェーンなのですが、ネットを検索してみたところ食べログに当時の店舗写真がありました。

『牛丼屋さんの朝ご飯』by sakurabashi : 神戸らんぷ亭 秋葉原東口店(2013年投稿より)

秋葉原の駅そばの店舗、前を通りかかった記憶があります。現在はどうなっているか、現地を見に行ってみましょう。

ビルの名前や2Fの「DVD鑑賞」はそのままですが、お店は居抜きで「壱角家」になっていました。秋葉原という立地だからか、「RAMEN」と外国人も意識した店構えですね。

「壱角家」は、横浜家系ラーメンを出すチェーンで、ガーデングループの稼ぎ頭として全国展開。2025年6月現在で全国約130店舗と大成功しています。タイ・マレーシアにも進出しているんですね。

せっかくなので、一杯いただきましょう。

・・なるほど、癖がない家系ラーメンですね。家系ラーメンは店舗で長時間煮込んで「店の味」を作り上げるのが常道であり、一見で行くと「ちょっと濃すぎるな」「これはしょっぱい」と感じることが度々あります。

「壱角家」はセントラルキッチンを活用して、店舗の味を均一化。調理工程も完全にマニュアル化することで、職人の技量に頼らなくても安定したラーメンを提供できるようにしているそうです(「横浜家系ラーメン・壱角家」成功の秘訣は“一等地”へのこだわり:読んで分かる「カンブリア宮殿」)。

個人的にはクセ強めな個人店舗を巡って、お気に入りの一杯を探し出すのが好みですが、それはあくまでラーメンマニアの視点。商売的には、人が抜けても同じクオリティを維持できる体制作りが第一です。

「神戸らんぷ亭」の最大勢力、約50店舗を「壱角家」はすでに軽々と超えていることに、チェーン店としての「正解」があるのでしょう。一方で、この世から消えた「神戸らんぷ亭」の看板に一抹の寂しさを感じつつ、賑わうお店を後にしました。

神戸らんぷ亭 秋葉原東口店(閉店)お店情報はこちら

2、牛丼太郎(最盛期:約13店舗)

登録3087883号(2015年10月権利満了)

「牛丼太郎」は安さ、早さ、美味さが求められる牛丼界において、「安さ」を究極まで尖らせたチェーンでした。

第一次牛丼戦争の2001年頃には牛丼1杯200円という空前絶後の低価格で提供。当時学生だった私にとっては、まさに救世主でした。

味もあっさり目で胃にもたれず、小腹が空いたタイミングでは大手チェーンより美味しく感じたナイスな味のチューニング。選択肢に「納豆丼」もあり、友人の家で朝まで飲んだあとは良くお世話になっていました。

サイドメニューのお新香は、当時なんと10円。もう低価格とかいうレベルを超えています。

東京エリアのみの展開でしたが、一部の腹ペコ野郎達にカルト的な人気を誇った本チェーン。しかし、BSE問題で米国産牛肉が使えなくなって、さらに行き過ぎた価格競争により運営体制が崩壊。2012年8月に、全ての店舗が牛丼太郎としての営業を終了しました。

ただ、「牛丼太郎」が死んでも、その魂は消えませんでした。かつての店舗のうち、茗荷谷店が当時のスタッフ有志により、「丼太郎」として2025年現在も存続しているのです。現地に行ってみましょう。

茗荷谷駅から徒歩3分。確かに店舗がありました。看板から牛を消して「丼太郎」になっていると聞きましたが、ここまではっきり「牛」が残っているとは想像してなかったです。

メニューは入り口に貼ってあります。牛丼並盛430円、味噌汁付き(2025年6月時点)。昔の値段を知っている人間としては結構上がったなあと感じましたが、よく考えたら都内のランチはどこも1000円超えの時代。マクドナルドの「ひるまック ビッグマックセット」が割引ありでも680円ですから、まだまだ安いですね。

注文は、牛丼・お新香・生卵のゴールデントリオにしました。

着丼!見てください、この輝きを。 

 

肉がぷりぷりしています。盛りも良いです。味付けは正直、記憶にある牛丼太郎より全然美味しいです。

200円代のころの牛丼太郎の肉は薄くて脂身も少なく、何食べてるかイマイチわからない時もありました。学生だったのでガツガツ食べていましたが、今食べたら思い出補正抜きではキツいでしょう。

でも、この牛丼は、牛丼が自分にとってパワーの源だった時代の「王道メシ」になっています。熾烈な牛丼戦争で破れ、最後に残された「丼太郎」店舗にこそ、本物の牛丼が継承されていたことにドラマを感じます。

金太郎のようなマスコットキャラもちゃんといました。キャラクター名は不詳で、個人的には牛太君と呼んでいましたが、今では丼太君でしょうか。

入口の表記も、牛が消されてやはり「丼太郎」になっていました。

いやー、満足でした!茗荷谷駅にはなかなか用事がないのですが、機会を作ってまた訪問したいお店でした。

丼太郎 茗荷谷店 お店情報はこちら

☆ なお、2025年4月に有限会社ウッドボーイが「牛丼太郎」を【43類:飲食物の提供】で、新たに商標登録していました(登録6919530号)。これはかつての「牛丼太郎」復活の兆しか、はたまた昔のチェーンとは関係ない出願なのか、現時点では不明ですが、かつてのファンとしては気になるところです。

3、東京チカラめし(最盛期:約130店舗)

登録5443528号(権利存続中)

「東京チカラめし」は、三光マーケティングフーズが2011年に第1号店舗を開店したチェーン店です。牛を煮て調理する従来のスタイルと異なり、肉を香ばしく焼いて提供する「焼き牛丼」スタイルは衝撃的で、一時は全国130店舗まで広がりました。

当時、私も何度も食べましたが、タレ濃いめ、焼肉がっつりという「チカラめし」のパワーに元気をもらい、残業が長くなる日のエネルギー源として活用していました。

ただ、新店出店のペースに人材育成が追いつかず、店舗ごとの料理クオリティにばらつきが生じることに。肉をしっかり焼くのに1杯わずか290円(味噌汁付きで)という低価格路線では利益率も低く、吉野家などライバル会社が同じ「焼き牛丼」で対抗してきた環境もあり、大量閉店へ。

残るは大阪の日本橋店と、千葉の新鎌ヶ谷店の2店舗のみ、しかも新鎌ヶ谷店は2023年11月に閉店と、もはや風前の灯でしたが・・。
焼き牛丼「東京チカラめし」、関東店が閉店 大阪店のみに – 日本経済新聞

2024年5月、九段合同庁舎の食堂として「東京チカラめし食堂」が堂々復活!開店時には各種ネットニュースでも取り上げられました。
「東京チカラめし」が東京で再始動 今度はどう売っていくのか:「焼き牛丼」が人気 – ITmedia ビジネスオンライン

あのパワフルな「チカラめし」を久しぶりに食べてみたいですね。九段下に向かいます。

九段下駅から徒歩5分。合同庁舎にやってきました。地下にお店があるそうですが、こんなお堅いビルに本当にあるのでしょうか??

確かに案内がありました!階段を下りて食堂に向かいます。

おお、スター的な扱いをされています。チカラめし以外にも通常のランチメニューが複数あり、合同庁舎の食堂としての役割も抜かりありません。

ただ、やはり今日は「焼き牛丼」一択。ガリ・味噌汁・生卵の3点セットとコンビで注文します(なお、焼き牛丼680円は取材当時の値段です)。

待つことしばし、出ました、元祖「焼き牛丼」!バラ肉を香ばしく焼き、丼を埋め尽くす姿が正しいチカラめしの姿ですね。懐かしい。

お味は、うん、確かに当時のチカラめしです。ややジャンキーな濃いタレの味付けに焼き肉の香ばしさがぴったり合いますね。今日の午後はパワーを出して仕事するぞという時に最適な一杯でしょう。

焼き牛丼とガリ

オプションの生姜も投入。通常の牛丼は紅ショウガのところ、焼き牛丼は薄切りの甘酢漬けだったんですよね、思い出しました。焼き牛丼の付け合わせとしては、よりさっぱり食べられるガリが正解ですね。よく考えられています。

丼にもちゃんと「東京チカラめし」の商標ロゴが入っていました。

完食、美味しかったです。ごちそうさまでした!懐かしい気持ちになれる焼き牛丼、関東ではまだこの1軒だけですが、もっと広がってくれると良いなと思いました。

東京チカラめし食堂 お店情報はこちら

4、おわりに~ブランドの思い出を「商標情報」から辿る楽しみ

本記事では、商標情報を入口に、3つの牛丼「元」人気チェーンの今を巡りました。

  • 家系ラーメンのチェーン店舗に転換していた「神戸らんぷ亭」
  • 丼太郎に魂が受け継がれた「牛丼太郎」
  • 九段下の合同庁舎に新しい形で再出店した「東京チカラめし」

と、現在の姿は三者三様ですが、時代に合わせて姿を変えたことは共通しています。

この世の全ては栄枯盛衰。永遠なものはありません。一方で、ブランドが残るにせよ、残らないにせよ、そのブランドが「どう生きたか」。さらに「どう変わっていったか」という歴史自体に人の営みが詰まっており、輝きがあると思うのです。

日本の登録商標は10年ごとに更新を迎えます。更新時点で使われていない商標は「維持費が無駄だよね・・」と放棄されることが多いですが、「いつかは復活させたい」という権利者の思いで維持されている商標も相当数あります。

商標登録情報を見れば、あなたが好きだったあのブランドの復活可能性がわかるかもしれません。

なお、「丼太郎」が懐かしすぎて、後日納豆丼も食べに行きました。

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