918年に渋沢栄一が「田園都市株式会社」を設立し、現在の東急東横線と田園調布をセットで開発したのを端緒として、日本のあちこちで鉄道沿線の開発が進みました。
ただ、沿線開発とは栄枯盛衰。再開発によりどんどん風景が変わっていきます。昔通学した路線、今乗ると車窓の風景がまったく変わっていて愕然、というのも良く聞く話です。
そんな昔の風景を振り返るのに、意外に役立つのは商標情報。都市開発には大きな資金が動きますから、ビジネスを守るべく商標登録されている施設名も多いです。
再開発などで施設が無くなれば放棄される商標が多いものの、特許庁のデータベースではこれら放棄商標も検索可能です。つまり、商標DBを活かして、思い出巡りができるのでは?
調べてみたところ、西武グループでは「今は無き施設」の商標は適宜放棄して、商標ポートフォリオを更新しているようです。西武鉄道は新宿・池袋のターミナル駅を始発とする東京の代表的な私鉄の1つ。遊園地や商業施設といった沿線開発にも積極的です。
そこで今回の「ちざ散歩」では、西武グループの放棄商標をチェックしながら、西武鉄道に乗って現地に行き、「今どうなっているか」を巡る、知財の小旅行に出発します!
10年で放棄:「西武ライオンズ球場」
最初の放棄商標として、今はなき「西武ライオンズ球場」を見てみましょう。
商標出願は1992年ですが、球場の開業はもっと前、1979年です。
球場ストーリー 西武ライオンズ球場の誕生 | 埼玉西武ライオンズより
当時の写真からは、回りに高い建物もない、郊外の広々とした球場だったことがわかります。
商標出願が開業より13年も遅かったのは、出願するのを忘れていた・・・訳ではなく、商標で41類「野球の興行の企画・運営又は開催,野球場の提供」が指定できるようになったのが平成3年改正からで、そのタイミングで出願したようです。
ただ、「西武ライオンズ球場」の名称は長くは続きません。ドーム化工事により、1998年には「西武ドーム」という名に変わりました。さらにネーミングライツ制度も始まり、2005年には「インボイスSEIBUドーム」という名称に。
2005年、「もはや西部ライオンズ球場と呼ぶこともないだろうな」という判断からか、商標が放棄されています。約20年経ちますが、現地に当時の面影は残っているのか。行ってみることにしましょう。
西所沢駅から西武狭山線に乗り換えて2駅。目指すは「西武球場前」駅です。
この日は試合がない日なので閑散としていました。改札を出て、すぐ左手に・・・
見えてきた
これが、かつての「西武ライオンズ球場」!
辺りを探しましたが「ライオンズ球場」や「西武ドーム」という表記はもはや見当たらず、全て「ベルーナドーム」に統一されていました。
ベルーナとは埼玉県上尾市が本社の通販事業会社で、2022年3月~2027年2月の5年契約でネーミングライツを獲得したそうです。2022年2月までは「メットライフドーム」でした。
一方で「埼玉西武ライオンズ」のチーム看板は大きくあり、チーム名と球場名をキッチリ分けているようです。ネーミングライツは球場名だけにかかるという線引きなのでしょう。
さらに散歩していると、「狭山スキー場」の看板が。西武球場駅前にあるスキー場とは知りませんでした。駅前にはライオンズの新しいトレーニングセンターと選手寮もあり、球場名が変わったあとも現地は進化しているようです。
2023年の埼玉西武ライオンズのシーズン順位は残念ながら5位でしたが、2024年の躍進に期待しています!
20年で放棄:「ユネスコ村」
続いて、20年維持されたのちに放棄された商標です。何だか懐かしい名前を見つけました。

「ユネスコ村」、かつてCMを見た記憶はあるのですが、訪れたことはなく・・。
調べてみたところ、1951年から営業していたテーマパークで、1990年にいったん休園。1993年からは「ユネスコ村 大恐竜探検館」にリニューアルしたものの、恐竜ブームも下火となり2006年に営業終了したそうです。
ユネスコ村 – Wikipediaより 在りし日の賑わい
現「ベルーナドーム」の北側にあったそうで、陸橋を渡って行ってみましょう。
ちょっとだけ歩きます。振り返るとベルーナドームが。
渡ったところでゲートが出てきて、中に入れません・・・コロナ以前の春には「ゆり園」としてシーズン公開されていたようですが、訪問した冬には閉鎖されていました。
柵沿いに周回していると、2つの建物が見えました。当時の情報と照らし合わせると、左が「シミュレーションシアター」、右が「大恐竜体験館」だったようです。
「シミュレーションシアター」は大型スクリーンの映像に合わせて座席が揺れ動く、映画館の4DX的な施設。「大恐竜体験館」はボートに乗りながらリアルに動く恐竜を観察するという、USJのジュラシックワールド的なアトラクションだったとか。
もう少し何か見えないかな?と思って裏手まで歩きましたが、ベルーナドーム用の駐車場があるばかり。元はユネスコ村の駐車場だったのでしょう。
裏側にある狭山湖はとても綺麗で、静かでした。「ユネスコ村」も再開発されれば、往時の賑わいが戻るのかもしれません。
30年で放棄:「狭山ステーションビル」
続いては、30年の長きにわたって維持されたのちに、放棄された商標です。
どんな施設だったのか?と検索してみると、1979年4月に開業した狭山市駅にあった駅ビルで、老朽化にともなう再開発のため2008年3月に閉館したそうです。
まもなく閉店!!西武狭山ステーションビルE.T.K《E電対策協議会》ブログより
こちらの当時の写真では「西武狭山ステーションビル」という看板が確かに見えます。今はどうなっているのでしょうか。
西武球場駅から西武狭山駅までは西武線で約30分、続けて向かってみましょう。
やってきました、狭山市駅。想像していたよりだいぶ立派な駅です。
構内の「獅子ガチャ」に、ここは西武の勢力圏内なんだなと気付かされます。このまま「西武狭山ステーションビル」の跡地に行ってみましょう。
「Emio」という駅ビルになっていました!ロータリーは昔の写真とほぼ同じ様子で、駅ビルだけが建て替わったようです。「Emio」も検索してみたところ、商標登録されていました。
権利者である西武プロパティーズ(現:西武リアルティソリューションズ)は、西武グループの不動産会社で、土地開発だけでなく商業施設の運営にも携わっています。Emio(エミオ)は西武鉄道の「駅ナカ商業施設」として、沿線に17施設あるとか。(エミオ | 株式会社西武リアルティソリューションズ)
建物のロゴも商標登録されたロゴと同一ですね。構内ですが、
ミスタードーナツ、カルディなどメジャーなテナントが入り、スーパーも併設されてなかなか賑わっていました。駅利用者だけでなく、周辺住民のショッピングにも活用されているようです。
「西武狭山ステーションビル」の商標は放棄されましたが、「Emio」という新たなブランドが生まれ、今の人々が集まる場に再生されるという沿線開発のお手本だなと感じました。
そして・・あの「としまえん」はどうなった?
ここまで3つの放棄商標施設を巡ってきましたが、西武線沿線でやはり気になるのは「としまえん」です。
商標登録は維持されていますが、権利期間はあと1年です。
「としまえん」は1926年より96年間も営業された西武グループの遊園地でしたが、2020年8月に閉園しています。私も子供の頃、親に連れられて「フライングパイレーツ」、「サイクロン」、「アフリカ」などのアトラクションに乗った記憶があるのですが、もはや思い出の中。
「としまえん」も、もはや西武グループでは使わない商標でしょうから、2025年に消え行く運命かもしれません。それは都市開発では仕方ないことです。
現在、跡地はハリーポッターの施設になっているそうですが、当時の「残り香」があるかもしれません。小旅行の終着駅として、西武鉄道の豊島園駅に向かいます。
現地に向かう車両も「ハリー・ポッター」ラッピング仕様になっていました。
豊島園の駅舎まで「ホグズミード駅」風に建て替わってる!駅前には映画館もできていました。
館内では『ハリー・ポッターと死の秘宝』のリバイバル上映も。
過去作品を順番にかけているようです。まずはここで復習しよう、ということでしょうか。
そして駅から歩くこと数分。
出ました!「ワーナーブラザース スタジオツアー東京」の看板。

スタジオツアーの館内にはチケットを事前購入した人しか入れないのですが、無料でも館外のモニュメントの見学はできます。

ハリーの眼鏡や

鹿の姿をした守護霊など、原作の要素がたくさん。ハリー・ポッター好きにはたまらない施設ですね。

緑豊かでお客さんでも賑わい、素晴らしい施設なのですが、かつての「としまえん」の雰囲気を知る者としては一抹の寂しさが。「帰ろうかな」と駅前に向かったところ・・。

広場の一角に謎のレールが。これは、ジェットコースターの一部でしょうか?

実はこれ、としまえんにあったジェットコースター「サイクロン」の一部で、現物のレールを切り出したものだとか。合わせて、としまえん園内のベンチも移設されていました。

更新される商標だけでなく、放棄される商標もある。時代の流れには誰も逆らえないが、思い出を残して繋いでいくことはできる。そんな粋な計らいにほっこりしました。
さて、懐かしの「としまえん」ベンチで休憩したあと、所沢駅前のサウナ「ザ・ベット&スパ 所沢」にでも寄って帰ることにしましょう。今回のちざ散歩、これにて終了です。
次はあなたも知財情報を起点にした小旅行に出かけてみませんか?