はじめに
商標権の存続期間を更新し続けることができることは、皆さんご存知でしょうか。商標は長く使い続けるほど、お客さんからの信用を得て価値が高まるため、存続期間を更新できるようにしているのです。
そのため、100年前から存続期間が更新され続けている商標もあります。
例えば、マヨネーズなどでお馴染みのキユーピー株式会社のこちらの商標は、今から100年前の1922年に商標登録され、現在に至るまで存続期間が更新され続けています。

100年もの間、商標登録が存続していたなんて本当にすごい。100年前と今では、人々の生活も、産業も、まったく違います。私はいつしか100年前の世の中がどんなものだったのか気になってきました。
今から100年前、1922年(大正11年)はどんな時代だったのでしょうか?
産業の面でいうと、この頃日本の産業革命が一気に進みました。1914年(大正3年)に第一次世界大戦が起こりヨーロッパが戦場になり、その影響で日本には大量の注文が舞い込んだのが一因といえるでしょう。
文化の面でいうと、いわゆる「大正ロマン文化」が花開いた時代にあたります。食文化の洋風化が進み、カレーライスやコロッケが街の食堂に登場したのはこの頃ですね。また、洋髪や洋装が少しずつ普及し始めたのもこの頃です。
さて、産業、文化の発展と知財は切っても切り離せません。
新しいアイデア(特許・実用新案)やデザイン(意匠)が生まれること、そしてそれを売り出すためのロゴマークやネーミング(商標)が生まれることにより、産業や文化は発展していきますから。
前置きが長くなりましたが、今回の記事では、100年前の日本にはどんな知財(商標、意匠、特許)があったのか見ていきましょう。
1. 100年前の商標
先ほど紹介したキユーピー株式会社の商標のように、今から100年前の1922年(大正11年)に出願され、現在も存続期間が更新され続けている商標を調べてみました。
すると、食品に関する商標が多いことがわかりました。今から100年前というのは人々の食生活がだんだん豊かになってきた時代。食品に関する商標が多いのはその影響かもしれません。
例えば、こちらの商標は皆さんお馴染みのミツカンの商標ですね。指定商品はストレートに「酢」。

こちらは、うどんスープも有名なヒガシマル醤油の商標です。

ジャムでお馴染みのアヲハタのロゴマークも1922年に商標登録されました。

この「”BLUE FLAG” BRAND」について、アヲハタ株式会社のホームページにはこのように書かれています。
自らの目でよい原料を選び、自らの技術で欧米に優る最高の品位を創出することが経営のロマンであったと思います。 果実缶詰は、原料の品種を選び、熟度と形を整えないと高品位のものを得ることはできません。 当時は機械化もできず、大変難しい加工技術でした。それぞれのシーズンごとに製品の出来映えをみて、最高の品位と思われるもののみに「アヲハタ」ブランドのラベルを貼って販売しました。
アヲハタ株式会社|アヲハタのあゆみ
品質基準をクリアしたものにだけ商標を付ける。そして、その商標が付いた商品を買った消費者が商品に良い印象を抱き、いつしかブランドイメージが醸成される。まさに王道の商標戦略ですね。
ビールやウイスキーなどの洋酒が広まったのもこの頃です。キリンホールディングス株式会社が所有する「きりん」という商標も1922年の登録です。

ちなみにロゴマークのほうは1922年からさかのぼること15年の1907年に登録されています。

サントリーのウイスキーブランドであるROYALが商標登録されたのも1922年ですね。

以上、今から100年前の1922年に出願され、現在も存続期間が更新され続けている商標のご紹介でした。どれも令和の現代でも良く知られているブランドばかり。それにしても、100年間も存続期間が続くなんて驚きですよね。大正、昭和、平成を経て令和まで脈々と受け継がれてきたブランドたちに敬意を示してこの章を終わろうと思います。
2. 100年前の意匠
さて、続いては100年前の意匠のご紹介です。
まず、100年前の意匠をご紹介する前にここで少し解説を。まず、意匠というのはデザインのことです。そして新しいデザインは他の人にマネされないように意匠権によって守られます。
ちなみに、意匠や、この後ご紹介する特許の制度では、商標の制度とは異なり更新制度がありません。いつまでも独占しているとかえって産業の発展が妨げられるということで、期間限定で独占が許されているのです。
今から100年前というと日本の工業、そして経済がだんだんと発展してきた時代です。商業デザインもこの頃大きく発展しました。デザインの良いものを作って消費者に訴えたのです。
また、この頃は、大正ロマンの自由な雰囲気に後押しされ、数多くの玩具(おもちゃ)の種類が多様化しました。人々の生活に余裕が出てきたことも一因かもしれません。その流れで、おもちゃ関連の意匠登録出願も数多くなされました。
特許庁のホームページには、この時代に登録された玩具の意匠が紹介されています。

大正時代には、玩具だけでなく雑貨品などいわゆる軽工業製品の製造が盛んに行われました。後の工業発展への礎がこの時代に培われたと言ってよいでしょう。
例えば、洋傘はこの頃に製造が盛んになった製品の一つ。意匠登録出願も行われていたようです。

3. 100年前の特許・実用新案
100年前に登録された特許・実用新案もみていきましょう。今から100年前の1922年にはどんなものがあったのでしょうか。
1922年7月1日から8月31日までに出願された2050件の特許および実用新案登録出願をサンプリングして、どのような分類のものが多いのかをランキングにしてみてみました。

第1位は「形状または用途に特徴のある履物」の分類です。さっそく、どんなものがあるかみてみましょう。こちらは「高下駄」の実用新案です。

「鼻緒芯通シ機」という名称の特許もありました。鼻緒というのは下駄や草履を足に固定するための部材ですね。

これらの考案や発明をはじめとして、「形状または用途に特徴のある履物」に分類される考案や発明の多くは、専草履や下駄など和装の履物に関するもの。この頃は洋装化が進み始めた時期とはいえまだ洋靴を履く人は少なかったのでしょう。そんな時代が反映されています。
第2位にランクインしたのは「脱穀機の部分または細部」です。当時の日本だと「脱穀」といえばその対象はおそらく「米」。今よりお米の消費量も多かった当時、しかも人口も増加傾向であったそんな時代に、増えゆく需要を賄うために農業の効率化も進んでいったのでしょう。そんな背景がうかがえます。

そして第7位にランクインしたのは「他に分類されない動物の飼育または繁殖;新規な動物」です。この分類にはいったいどんな特許・実用新案が含まれるのでしょうか。公報を見てみると、「蚕種輸送箱」(「蚕」と「箱」は旧字体)の実用新案がありました。

蚕種輸送箱(読み:さんしゅゆそうばこ)というのは、「蚕種」すなわち養蚕に用いる蚕の「卵」を運ぶための箱のことです。当時は、ボール紙等でできた蚕種輸送箱に入った蚕の卵を郵便小包でやり取りしていたのです。卵とはいえ、生き物を郵便で運ぶのはちょっと驚きです。
それに、蚕の卵を運ぶための専用の箱があり、それについて出願もなされていたなんて。それほど当時の日本では養蚕がさかんだったのでしょう。当時の日本では養蚕により得られる絹製品の製造が国を支える産業のひとつでした。そう考えると合点がいきますね。
おわりに
100年前になされた商標登録が今現在も存続しているというのは私にとって驚きでした。それほど永く消費者に愛され続けてきたのでしょう。
この驚きが発端となった今回の記事、「100年前」というのをキーにして知財を掘り下げていくと、おのずとその時代がみえてきました。
まさに知財は時代を映す鏡。そう考えると、100年後に生きる未来人に、2022年現在の知財はどう見えるのでしょうか。そんなことに想いを馳せながらこの記事を締めたいと思います。
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