【ファミコン前夜】任天堂の初期特許から読み解く、ビデオゲーム史の原点~「失敗作」が拓いた世界一への道

任天堂は、今や「知財の巨人」です。

和解金33億を勝ち取った白猫プロジェクト特許訴訟や、現在進行形のパルワールド訴訟も記憶に新しく、最強の法務部・知財部なんて言葉もネットで見かけます。

任天堂名義でどれぐらいの特許権があるのか?特許庁のデータベースで検索してみると、国内特許文献だけで約3200件ヒットしました(2026年1月時点)。年代別に特許文献数のグラフを作ってみると、加速度的に件数が増えていることが分かります。

2026年3月期の任天堂の連結売上高は2兆円を超える見込みで業績絶好調。知財予算も潤沢でしょうし、ゲーム産業の巨大化からも、特許強化の流れは当然のことと思われます。

ただ、そんな任天堂にも最初の1件といえる特許出願があります。実は任天堂は、世界的企業へ成長する出発点となったファミリーコンピュータの発売(1983年7月)以前から、ユニークな技術を開発し、特許・実用新案出願に着手していました。

任天堂がゲーム業界で確固たる地位を築く以前の黎明期の知財活動を知ることは、ゲーム史の原点にも繋がりそうです。

そこで本記事では、任天堂の「ファミコン発売前夜」の特許・実用新案権から、興味深いものを3件ほど掘り下げて紹介します。

1件目:競馬ゲーム用「EVRフィルム」(1976年5月出願)

特許庁のデータベースによれば、任天堂の一番古い出願はゲームセンターの競馬ゲーム用の「EVRフィルム」に関する実用新案権です(実願昭51-065531)

そもそも「EVR」とはElectronic Video Recordingの略で、1960年代後半に米国のCBS社で開発したフィルムを用いた映像記録・再生方式でした。フィルムに映像を録画しておき、専用プレイヤーを用いてTVのブラウン管に映像をカラー再生できる方式で、VHSなどの磁気テープが出てくる前の黎明期の録画技術でした。

Motorola Teleplayer (EVR) | Tangible Media: A Historical CollectionよりEVRフィルム実物

あまり普及しなかった理由として、テレビの録画ができず、マスマーケットの開拓が困難だったようで、当時、富士フィルムも日本での合弁会社設立を検討するも事業化を見送っています

一方、任天堂はこのEVRフィルムを業務用レジャーに使えないかと考えました。任天堂は1970年前半にレジャー産業(いまでいうアミューズメント事業)に進出していたのですが、その販売商品の1つとしてEVR技術を用いたメダルゲーム筐体「EVRレース」を開発したのです。

外国人のためのエレメカアーケードゲームガイドより

筐体写真を見ると、中央にブラウン管があり、競馬ゲームの映像が映し出されています。プレイヤーはどの馬が勝つか?メダルを賭け、投票が締め切られるとEVRフィルムが回ってレースの結果がランダムに決定。結果に応じてメダルが払い戻されるという仕組みです。

残念ながら現在ゲームセンターで稼働している「EVRレース」の筐体はないようですが、YouTubeにテスト映像がありました。

Rare footage from Nintendo’s groundbreaking EVR Race videotape-based arcade game, 1975

確かに5頭の馬が競っていますね。ゲームの仕組みがわかったところで、先ほどの「EVRフィルム」の実用新案権の内容を改めて見ていきましょう。

ざっくり説明すると、次のような内容です:
EVRフィルムを「複数の映像区分(レース映像などの単位)」に分け、
フィルム上部の輝度トラックには「これは何のレースか」を示す識別情報、
フィルム下部の色信号トラックには「ここで区切れる」という境界情報を記録し、
両方を併用することで、誤動作なく目的の映像区分を取り出せるようにしたフィルム構造。

これだけでは分かりにくいので、実際の競馬ゲームにあわせて具体的に解説しましょう。1巻のEVRフィルムには59レース分の映像が収録されており、1レースが終わるとフィルムリールが回転して次のレース映像を用意します。

このレース映像を呼び出すとき、毎回映像の頭出しをきちんと行う必要がある(レースが途中から始まっては興覚めです)のと、メダルの払い戻しのために勝ち枠判定も正しく行う必要があります。

ただ、EVRフィルムは傷つきやすく、ゴミや外光による誤検出も起きやすい素材でした。

そのため、フィルム上部にレース番号・勝ち枠の情報を記録、フィルム下部にレース映像の境目情報をそれぞれ記録し、上下を正しく読めたときだけに正しい映像区分と判定することで、読み取りや開始位置エラーを回避する仕組みを考案したのです。

この実用新案の興味深いところとして、次のレースにフィルムを送るときに、最初はフィルムを高速走行させるが、途中で低速走行に移ってレースの境界情報を読み取る。その際にフィルム巻き位置やブレーキの性能等によって低速走行の時間はランダムに変化するので、頭出しされる映像区分も不規則に決定される、という技術も開示されていました。

アナログなフィルム方式だからこそ起こる不規則性を、レースの結果がわからない面白さに活用するというのは任天堂らしいアイデアといえるでしょう。59レース分も映像が含まれているというのは、強い馬・弱い馬の演出にも役立っていそうです。

考案者は「ファミコンの父」とも呼ばれる任天堂のレジェンド社員、上村雅之氏。ファミコン発売の約7年前の出願でした。

ただ、この技術を用いた競馬ゲーム筐体「EVRレース」は、任天堂初のビデオゲーム機という記念碑的存在であるものの不具合が多かったようです。当時の業界紙の匿名対談を見てみましょう。

A ところで、故障し難い機械が一般的になってきたとは言いながらも、中には極めて故障しやすいのがある。目下問題化しつつありますがね。

B EVRレースのことですね。

A そうです。使っておられる方の話では、ゲームとしては画期的なものだったし、ちょうどお正月期を控えて、何か強力なパンチが利いた機械が欲しかった矢先だったので喜んで、購入したんだけど、そのトラブルには参った、って言われています。

ゲームマシン 昭和51年7月1日号より

この対談の後半では、

・本体は高価だったのに故障頻度が多く、しかも稼働停止する致命的な故障ばかり

・EVRではテープがヘッドをこすってゆくメカニカル機能が不可欠だが、その部分がデリケートで故障しやすい

・EVRはゲーム機用に開発された技術ではなく、一日中お店で稼働し続ける酷使は想定されていなかったのでは

という指摘もされており、当時の問題意識が生々しく伝わってきます。

ただ一方で「メーカーさんは実に一生懸命サービスして下さっている」というコメントもあり、当時の任天堂としても対応に苦慮していたのではと思われます。任天堂公式ページにも「出した後のメンテナンスがものすごく大変だった」というエピソードがありました。

この「EVRフィルム」を使ったゲーム機ですが、「EVR BASEBALL」という野球メダルゲームが続編として出るものの、その後は故障しにくいデジタルなビデオゲーム機にシフトしていきました。本実用新案権も1989年4月に年金不納で消滅し、役割を終えています。

とはいえ、業務用ビデオゲーム機の市場を開拓したという点で、任天堂にとってもゲーム史においても重要な技術であったことは疑う余地はないでしょう。

2件目:ゲームセンター用「射撃ゲーム装置」(1976年8月出願)

次に注目したいのは「射撃ゲーム装置」の特許権です(特許1244438)。「EVRフィルム」出願から3か月後の1976年8月に出願されていました。発明者は「ゲーム&ウオッチ」、「ゲームボーイ」などの開発で知られる、こちらも任天堂のレジェンド社員、横井軍平氏です。

この「射撃ゲーム装置」の実機として、1976年に「ミニレーザークレイ」がゲームセンター向けの筐体として任天堂から発売されています。

外国人のためのエレメカアーケードゲームガイドより

プレイヤーは筐体の後ろに立ち、スクリーンに映し出される的を光線銃で撃ち落とします。ミニという割には大きい筐体ですが、これには歴史があります。任天堂は1973年にボーリングブームの後継を狙い、大型レジャー施設用の「レーザークレー射撃システム」を開発。

当時の宣伝用写真(ロストメディア日本語非公式wikiより)

先ほどのがミニなら、こちらはメガ。確かにボーリング場レベルの広さが必要そうです。

このシステムは当時苦境に陥っていたボーリング場のオーナーたちに注目され、注文が殺到。任天堂は資材を揃え、販売・メンテナンスを行う子会社も設立して全国展開に備えていました。

ただ、同年に第一次オイルショックが起こりキャンセルが続出。任天堂は当時にして50億円もの負債を抱え込み、山内社長が「いつまでもつか、あのときは毎日が綱渡りのようなものでした」と語るほどの経営危機に陥ってしまいます。
任天堂コンプリートガイド玩具編(山崎 功著)134Pより

被ったダメージを回復すべく、任天堂が開発・販売していたのが先ほど紹介した「EVRレース」をはじめとする業務用ゲーム機だったのですが、中でも「ミニレーザークレイ」はレーザークレイ射撃システムの小型改良版というコンセプトで開発されました。

では改めて「射撃ゲーム装置」の特許を確認しましょう。ざっくりとした権利範囲は次の通りです:

請求項1
標的がスクリーン上に映写され、プレイヤーが銃で射撃するゲーム装置であり、
標的となる映像コマが2つの区分に分けられ、
片方は標的映像、もう片方は命中判定または命中演出用の情報(発光や、爆発映像など)が、同じタイミングに投影されるゲーム装置。

この特許は、フルサイズの「レーザークレー射撃システム」の改良技術です。元のシステムでは、射撃の命中判定・表示に電子制御回路を用いていましたが、装置が高価で保守も大変。一般のゲームセンターに販売するには不適当でした。

何とかしてシステムを簡易化できないか。横井氏が採った工夫は「命中表示機構の簡略化」でした。

元のシステムでは射撃の命中判定後に、電子回路で演出を制御したり、映写フィルムを切り替えて命中画像を投影したりと複雑な制御が必要となります。本特許では、映像コマを2つの区分に分け、標的映像と命中演出を同じタイミングで投影し続けているので、電子的な制御が不要となります。

「いや、ずっと命中演出を投影しつづけてたら、いつ命中したか分からなくて遊べないじゃん」と思われた方、鋭いです。実はこの特許の請求項2でその点の工夫が開示されています。簡単にまとめると、

請求項2
第1項の射撃ゲーム装置において、
2つの投影光をそれぞれ反射する2つの鏡を設け、
通常時には“通常映像用の投影光”を、
命中時には“命中演出用の投影光”をそれぞれスクリーンに向けるよう、
光電要素の検知(つまり命中判定)をきっかけに、鏡の角度を切り替えるゲーム装置。

という内容です。すなわち、2種類の投影映像は流しっぱなしなのですが、命中判定が起こったときに反射鏡の角度を調整することで、ユーザーに「命中したときだけスクリーンに命中演出が映った」と認識させる技術なのですね。

特許図面を見ると、確かに2つの投影光と、2枚の反射鏡が映っています。

映像自体は流れ続けているが、命中したときだけ反射鏡の角度が変わって命中演出をスクリーンに投影し、しばらくたつと反射鏡の角度が戻り、元の通常演出を投影する・・という形で、画面の電子制御を減らしているのです。

当時まだ発展途上だった電子制御は「命中判定」のみにして、「命中演出」は鏡の角度調整というアナログな手法でユーザーに見せる。映像は流れ続けているため、命中時に映写機のフィルム切り替えも不要・・という点で、斬新な特許といえるでしょう。

発明者の横井氏はこののちに「枯れた技術の水平思考」という独自の製作哲学を導き出し、任天堂の躍進を支えます。これは「新しい技術開発に莫大なコストを投入するよりも、すでに存在する安定した技術を、今までになかった用途に移行させたほうが、斬新な商品を生み出せる」という製作哲学として知られていますが、この「射撃ゲーム装置」の特許でもすでにその萌芽を感じます。

3件目:ゲーム&ウオッチ用「液晶表示ゲーム装置」(1981年10月出願)

任天堂の初期特許、最後に紹介するのは「液晶表示ゲーム装置」の実用新案権です(実登1744953)

考案者は先ほどの「射撃ゲーム装置」の特許権と同じく横井軍平氏。横井氏はこの時期の出願の多くに名を連ねていて、開発の主要メンバーであったことがわかります。

この実用新案権が出願された前年、1980年4月に任天堂はゲーム史に残る商品を発売しています。任天堂初の携帯型液晶ゲーム機、「ゲーム&ウオッチ」シリーズです。国内1287万個、海外3053万個、合計で4340万個販売という大ヒット商品になりました。
社長が訊く「ゲーム&ウオッチ」より

商品化のきっかけは、横井氏がたまたま社用車の代理運転手を引き受け、山内社長に「新幹線で電卓で遊ぶサラリーマンを見て、大人が人知れず遊べるコンパクトなゲーム機が作れないか」と車中で話した。すると偶然、山内氏がその日にシャープの社長と会合があり、その話をしたらシャープ側も乗り気になったという、当時の任天堂らしい偶然とスピード感が溢れるものだったそうです。

ゲーム&ウオッチの第1号は「ボール」。2009年にクラブニンテンドーのプラチナ会員向けに復刻・プレゼントされており、私も実機を入手しました。

久しぶりに遊んでみましたが、非常にシンプル。ボールを落とさないように手を左右に動かして、ジャグリングを続けていきます。ボールはどんどん高速になり、1つでも落とすとその場でゲーム終了というアクションゲームです。

この実用新案権は「ゲーム&ウオッチ」シリーズ発売の翌年に出願されたものですが、まず図面から見てみましょう。

「ボール」と異なってゲーム機本体にヒンジがあり、フタを開ける構造になっています。一見すると、2画面のデュアルスクリーンに見えるのですが、実は下面は単なる鏡になっており、液晶画面は上面だけです。

上面は透過するスクリーンになっており、背後から光が入ります。プレイヤーは下の鏡に映りこんだ映像を見ながら遊ぶという構造で、実際には1画面のゲーム機です。どうしてこんな手が込んだことをするのでしょうか?

その理由は、別の図でわかります。「ゲーム&ウオッチ」シリーズの特徴として、電卓用のセグメント液晶画面(以下セグメントLCD)を利用していますが、セグメントLCDは低コスト・低消費電力というメリットがある代わりに、固定パターンしか表示できません。

セグメントLCDの例(黒いセグメントの組み合わせで数字を表現)

電卓や時計ならこれで十分ですが、ゲームでは背景を表示したい、異なるキャラクターを重ねて表現したいというニーズがあります。そこで、この実用新案では「2枚の液晶表示版と、少なくとも1枚の背景フィルタと採光窓」を上画面で組み合わせ、下画面には鏡を置いて反射させることで、多層的な表現をセグメントLCDでも実現しています。

「直接上画面を見れば良いのでは」とも思えますが、それでは透ける・見づらい・立体感が出ないという問題があり、ゲーム画面として成立しません。下の鏡で反射させることではじめて、複数のレイヤーが統合され、奥行きがある1枚のゲーム画面が生まれるのです。

非常に面白い構造なのですが、残念ながらこの実用新案は私が調べた限り、商品化されてはいません。課題として、液晶2枚・複数のフィルタ・鏡・ヒンジ構造といった複雑な構造がコストを押し上げること、手にもって鏡をのぞき込むという構造が視点的に安定せず遊びづらいことがあったのではと推測されます。

ただ、この実用新案で示された発想は2つの商品に継承されています。1つは「ゲーム&ウオッチ マルチスクリーン」シリーズ(1982年6月発売)。

HISTORY|ゲーム&ウオッチ|任天堂公式サイトより

2つの液晶画面が折りたためる斬新かつボリューム溢れる構造で大人気に。中でも「ドンキーコング」はシリーズ最大のヒットを記録し、全世界で700~800万台も売れたとされています。

さらにもう1つは「カラースクリーン テーブルトップ」シリーズ(1983年4月発発売)。

HISTORY|ゲーム&ウオッチ|任天堂公式サイトより

筐体の上部から自然光を取り込み、画面は内部の鏡に反射して映すことで、当時不可能と言われた省電力でのフルカラー画面を実現した意欲的な商品です。

価格が高かったためか、商業的には振るわず短命で終わったシリーズでしたが、鏡の反射を利用した採光は、コンパクトになった「パノラマスクリーン」シリーズでも採用されています。

このように、意欲的な技術・構造を次々と生み出し、そのまま商品化できなくとも他のシリーズに活用していくという貪欲な姿勢は、任天堂のフロンティアスピリッツの表れと言えるでしょう。

そしてファミコンへ・・・「独創性」と「面白さ」の先に

任天堂はこのすぐ後に「ファミリーコンピュータ」(1983年7月)を発売し、その後の躍進は知られている通りです。

失敗をしてもチャレンジを続けて、さまざまなヒット商品を生み出し続けた任天堂の開発部門。その背景には、3代目社長である故 山内 溥氏の理念がありました。山内氏がインタビューで語った言葉を引用します。

山内氏:商品が売れるか売れないかは、正直いって誰もわからんよ。しかし、おもしろいか、おもしろくないかは誰にでもわかる。おもしろいものをつくれば会議で検討したり、市場調査をしたりする必要もないわけや。事実、ゲームソフトで370万本売って超ベストセラーになった「スーパーマリオブラザーズ」など、100人中90人までがおもしろいと評価していたよ。

娯楽というものは、独創性を持たないで、人のやったことをやっていたってしかたがないんや。独創性を発揮して、それが認められるような商品でなかったら新しい市場は成立しない。新薬の開発のように、何かを深く掘り下げて、その技術の上に立って戦略を考えるというのとは根本的には違うんです。

だから、今までこんな遊びがあった、これを改良、改善すればなんとか商売になるのでは……という発想では絶対うまくいかん。だからこそ、他社の類似品は出さんというのが、任天堂のモットーなんです。

任天堂・山内溥社長の経営哲学『致知』1989年11月号 特集 「想いを込める」より

今回調べた3つの特許・実用新案は、直接には商業的に成功しなかったかもしれませんが、どれも独創的な構造であり、「他社の類似品は出さない」という任天堂のプライドが現れたものでした。

任天堂の面白さ・独創性へのあくなき情熱。「レーザークレー射撃システム」などで失敗しても、次のエンタメ事業に果敢に挑戦していく機動力。「娯楽を通じて人々を笑顔にする会社」という経営方針を掲げて世界へ躍進した任天堂、今の繁栄はやはり必然だったのだろうと思うのです。

Toreru 公式Twitterアカウントをフォローすると、新着記事情報などが受け取れます!

押さえておきたい商標登録の基本はコチラ!