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はじめに~最新デバイスにも元ネタがある~
「このフレーズの元ネタ、あの曲じゃね?」
「あ~このサンプリングはヤバいね」
ヒップホップの世界には「サンプリング」という文化があります。これは、既存の楽曲のフレーズを抜粋して新たな曲に入れ込むという手法のことです。

実は、これと似たようなことが特許の世界でもおこなわれています。科学技術が高度に発展した現代においては、まったくゼロからの発明というのはむしろ珍しく、たいていは何らかの既存技術を改良することで新たな技術が生まれます。つまり、最新技術というのは既存技術のサンプリングとリミックスによりできていると言っても過言ではないのです。
ところで、特許の世界には「審査」という制度があり、発明の目新しさなど一定の審査基準を満たした発明だけが特許として認められます。
これをヒップホップにたとえて説明すると、まず、審査官という役割の人々が「この発明の元ネタ、あの技術じゃね?」という具合で、元ネタとなる技術を引用していきます。そして、「あ~このサンプリングはヤバいね」となると、晴れて特許取得になります。
ここで、特許の世界における「ヤバさ」というのは、ざっくり言うと「元ネタとなった技術からその新しい発明に至るまでの工夫が一定以上だね」ということにあたります。
さて、ヒップホップの世界にはサンプリングされた元ネタをディグって(掘り下げて)ゆくという遊びがあります。この遊びを特許でもやってみようというのが本記事の趣旨です。
引用特許をたどっていくと一体どんな特許にたどり着くのか。本記事では、最新デバイス(Apple Vision Pro)の特許を一例として、そのオリジンをディグっていきます。

最新デバイス(Apple Vision Pro)の特許を見てみよう
Apple Vision Proは、”空間コンピュータ”というカテゴリの新型デバイスです。VRヘッドセットと構造は同じですが、ユーザーに見えているのは、現実空間にバーチャルな映像を合成させたものです。

ところで、最新デバイスというのはたくさんの技術の集合体です。たとえばApple Vision Proの場合、ユーザーの目の前に映像を出力する技術や、ユーザーの身振りによりデバイスを操作できるようにする技術、ユーザーのリアクション解析する技術など、様々な技術がより合わさっています。そして、それらの技術一つ一つが特許により守られています。
つまり、一つのデバイスは膨大な数の特許により守られているのです。ちなみに、Apple Vision Proの場合、約5000の特許により守られていると言われています。
本記事では、その中でも特に重要であると言われている特許をピックアップして、引用特許をディグっていきます。
では、まずは今回ピックアップした特許(米国特許出願16934071/米国特許第11354805号)を見ていきましょう。
なお、この特許については以下の記事で詳しく紹介されていますので、気になる方は是非読んでみてください。
この特許は、デバイスを使用しているユーザーのリアクションを評価する方法に関するものです。具体的には、以下のステップによりユーザーの状態を評価しています。
- ディスプレイ上の輝度(光の強さ)の変化を識別するステップ
- センサを用いて、ディスプレイ上の輝度の変化を知覚したユーザーの瞳孔の応答を取得するステップ
- ディスプレイ上の輝度の変化に対するユーザの瞳孔の応答の大きさを決定するステップ
- ユーザの瞳孔の応答の大きさに基づいてユーザの状態を評価するステップ
これを図示したのが以下の図です。ディスプレイに写された映像に対するユーザーのリアクションを、ユーザーの瞳孔の大きさの変化により評価しているというわけです。なお、以下の図ではタブレット型のデバイスの例が示されていますが、Apple Vision Proではこれと同じことがヘッドセットデバイスのディスプレイ上で起こっています。

そもそも、なぜユーザーの瞳孔の大きさを評価するのでしょうか?それは、瞳孔の大きさによりユーザの心理状態がわかるからです。
この特許にはユーザの心理状態がわかることのメリットまでは書かれていませんでしたが、自らが製作したコンテンツのどの部分がユーザーの興味をひいたのかが秒単位で把握できるようになるこの技術、コンテンツ制作者にとっては喉から手が出るほど欲しいものだと思います。逆に、ユーザーの立場からすると、そこまで把握されてしまうのは少し怖いような気もしますが。
実際に引用特許をディグってみた
では、今回の特許(米国特許出願16934071/米国特許第11354805号)の引用特許を早速ディグって(さかのぼって)いきましょう。
今回ディグに使ったのはTokkyo.ai|企業内プライベート特許検索サービスというツールです。このツールの「引用分析」という機能を使いました。

赤枠で囲ったのが今回の特許です。その左側には今回の特許を引用した特許が書かれています。右側には今回の特許を審査する際に引用された特許、つまり引用特許が書かれています。そして、引用特許の右端、黄枠で囲った部分をクリックすると、引用特許の引用特許をさらにディグっていくことができます。
スタートアップの技術がサンプリングされることも
引用(サンプリング)にあたって、発明者(アーティスト)の知名度は関係ありません。スタートアップ企業の技術が引用されることもしばしばあります。
たとえば、米国特許出願15576965/米国特許第10741286号(下図において赤枠で囲ったもの)は、日本のスタートアップ企業ライフクエスト社の発明者Saito Ryozo、Takahashi Hirotsugu、 Kayama Tetsuによる特許出願です。


この特許出願は瞳孔の変化を観測・計算するソフトウエアに関するもので、以下のステップにより瞳孔の変化を観測・計算します。瞳孔の変化の観測・計算に関する基本的なところが押さえられた技術であると言えますね。
- モバイル端末の動画撮影機能を有効にするビデオオンステップ
- モバイル端末の撮影側に配置された光を有効にするライトオンステップ
- 撮影中の画像から動物(人間を含む)の瞳孔を認識する瞳孔認識ステップ
- 瞳孔の変化を計算する瞳孔変化計算ステップ

別分野からのサンプリング
ヒップホップにおけるサンプリングでは、ジャズやクラシックといった別分野からのサンプリングもしばしば行われます。そして、それと同じようなことが特許の世界でも行われています。
たとえば、米国特許出願12726444/米国特許第8564502号(下図において赤枠で囲ったもの)は車両の運転アシストに関するものです。

これは、運転者がフロントガラス越しに見る光景に先行する車両の情報(速度など)を重ね合わされるように表示するという技術です。
Apple Vision Proのようなヘッドセットディスプレイと運転アシストに関するこちらの技術は一見関係無いようにも思えますが、現実の光景にバーチャルの情報を重ね合わせるように表示するという点ではApple Vision Proと共通点がありますね。


ディグの末に行き着いたのは「1960年代に出願された航空機パイロット用のヘッドセットデバイス」だった
今回の特許の引用特許をディグっていくと、かなり古い特許までさかのぼることができました。下図において赤枠で囲ったKopin社の特許出願(米国特許出願08857273/米国特許第07310072号)は2024年からさかのぼること約30年、1997年に出願されました。

約30年前には既にヘッドセット型ディスプレイのアイデアがあったのですね。

さらに引用特許をディグっていきましょう。Kopin社の特許の審査で引用されたのは1991年に出願されたSony社の特許(米国特許出願07697208/米国特許第005106179号)です。
こちらの発明は視覚補助用のデバイスに関するもので、小形カメラで撮影した映像を直接眼球の網膜に投影させることで視力に関係なく鮮明な映像を認識できるというものです。

ちなみに、こちらのSony社の発明は日本でも出願されています(特願平2-128007/特許第3000621号)。ここからはこちらの日本出願をディグしていきましょう。
Sony社の特許の審査で引用されたのは、航空機パイロット用のヘッドセットデバイスに関する米国ハネウエル・インコーポレーテツド社の特許出願(特願昭63-192520)です。ついに出願年が昭和に突入しました。ちなみに、こちらの発明は航空機パイロットの視線の先に運航に必要な情報等を表示させるというものです。

米国ハネウエル・インコーポレーテツド社の特許出願の審査で引用されたのは、英国マーコウニ・アビニヨニクス社の航空機パイロット用ヘッドセットデバイスに関する特許出願(特願昭57-180539)です。

そして、英国マーコウニ・アビニヨニクス社の特許出願の審査で引用されたのは、なんと出願年が昭和43年(1968年)の米国ザ・ベンディクス社の特許出願(特願昭43-18019)です。こちらも航空機パイロット用のヘッドセットデバイスですね。

筆者のディグのスキルの関係上、今回のディグはここまでとしました。
ディグした特許を図にまとめるとこのような感じです。

最新ヘッドセットデバイスの特許のディグの末に行き着いたのは、2024年からさかのぼること約60年、1960年代に出願された航空機パイロット用のヘッドセットデバイスでした。
ただ、今回のディグはあくまで一例。上で示した図からもわかるように一つの特許からは沢山の引用特許が枝分かれしているので、どの枝をたどるかによって行き着く先も変わります。
まとめ
最新デバイスの特許のディグしてわかったことは以下のとおりです。
- 発明者(クリエイター)の知名度は関係ない。スタートアップ企業の特許が引用(サンプリング)されることもしばしば。
- 一見関係無いのでは?という別分野からのサンプリングも。
- 最新ヘッドセットデバイスの特許のディグの末に行き着いたのは、2024年からさかのぼること約60年、1960年代に出願された航空機パイロット用のヘッドセットデバイス。
最新デバイスが様々な発明のサンプリングにより成り立っていることがよくわかりました。
ちなみに本記事を作成するうえで非常に刺激になったのはこちらの記事。ヒップホップにおけるサンプリング文化に着想を得てコンビニパンの源流をたどっています。是非読んでみてください。
コンビニパンの元ネタ探し :: デイリーポータルZ (dailyportalz.jp)
