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コスプレと「グレー」の付き合い方(著:たみ)-第1回「知財とアレ」エッセイ大賞 大賞作品

本記事は、 第1回「知財とアレ」エッセイ大賞 における受賞作品を著者の承諾を得て掲載するものです。
他受賞作の情報はこちら (22年10月に順次公開)
※大賞は2作同時受賞となります。

第1回 大賞受賞作品 審査コメント
実体験として、筆者自身のコスプレイヤーとしてのキャラクターの知的財産に対する複雑な思いや、暗黙のルール、そしてキャラ愛と自意識について率直に書かれている点が、審査員に高く評価されました。

素晴らしいエッセイをぜひお楽しみください!


コスプレと「グレー」の付き合い方

わたしと妹は何もかも正反対だ。見た目も、性格も、好みも、まるで違う。暇さえあればアニメとマンガを見て一人でニヤニヤしている姉に対して、毎月ネイルサロンとエステと美容院に欠かさず通い、休日は友人とバーベキューをするような妹。とても同じ釜の飯で育ったとは思えない。

そんなキラキラ女子の見本のような妹から連絡が来た。

「ねえちゃん、ピンクのウィッグ持ってる?今度友達とコスプレするから貸して」と。アニメキャラクターのコスプレをしてテーマパークへ行くらしい。

ピンクのウィッグ、もちろん持っていますとも。

わたしはコスプレ歴10年の年季の入ったコスプレイヤー。ピンクのウィッグなら、色味と長さ違いで3つはある。

わたしは「キラキラ女子もコスプレするようになったのね」と驚きながら、妹と妹の友人の分のウィッグを紙袋に詰めたのだった。

 

コスプレをする人、通称「コスプレイヤー」はずいぶん増えた。

ECサイトやフリマアプリで安価な衣装が簡単に手に入るようになった。先人たちのおかげで、メイクやウィッグカットのノウハウがインターネット上に蓄積されている。SNSでコスプレ仲間を見つけやすくなった。コスプレイヤーが増加するのも頷ける。

コスプレイヤー人口増加に伴い、不安感を覚える場面を目にする回数が増えた。

コスプレをしたまま街を歩くなど、不特定多数にコスプレ姿を公開する、作者や出版社などのいわゆる「公式」と呼ばれる人々にコスプレ写真を送り付ける、コスプレをした状態で接客を行うカフェを開こうとする、未成年キャラのコスプレで喫煙するなど、あげ始めればキリがない。

 

コスプレはキャラクターありきの趣味だ。(「メイドさんのコスプレ」など非日常的な衣装を着る事も広義のコスプレだが、ここでは漫画やアニメ、小説、映画など何かしらの作品に登場するキャラクターの見た目を真似る行為をコスプレと定義したい。)キャラクターに関する著作権をはじめとした知的財産権は、作者や出版社などの「公式」が所有している。コスプレイヤーにはキャラクターの衣装を作ってひろく公開したり、コスプレによって金銭を得たりする権利はない。

ではなぜ、コスプレイヤーは「公式」によって処罰されていないかといえば、「公式」からお目こぼしを受けているからだ。わたしは公式サイドの立場になったことがないので憶測になるが、いちいちコスプレイヤーひとりひとりを相手にしていられる程公式も暇ではないだろうし、無料で作品の宣伝看板になってくれるならとコスプレイヤーを黙認してくれているのかもしれない。いずれにしても、公式がコスプレをする余地、グレーゾーンを残してくれているのは確かだ。

現状コスプレイヤーが絶滅していないのは、「公式」によってコスプレが見逃してもらえているだけであって、何も言ってこないイコール許可が降りているということではない。公式にとってコスプレイヤーという存在が、利益にもなっていないが害にもなっていないという微妙なバランスだから黙認されているだけ。天秤が「害」に傾けば、公式はコスプレを一切禁止にすることだってできるのだ。

 

天秤を傾けるのは簡単だ。コスプレをして、不適切な行いをすればいいだけだ。しかも、それはひとりのコスプレイヤーの行動で十分。大げさに言えば、ひとりのコスプレイヤーの行いがコスプレ

界隈の寿命をゆるがすことにもなりかねない。だから、コスプレ人口増加とともに増えた「おや?」という行動をみると、おしりがムズムズするような気持ちになる。

天秤の傾きを防ぐため、コスプレイヤーは多くの暗黙のルールを設けてきた。

奇抜な恰好で不審者だと思われないように、許可を得ていない場所でコスプレをしない。コスプレをして金銭を得て、公式の利益をかすめとるような行いはしない。せっかくコスプレを見逃してもらえているのだから、わざわざ公式に「コスプレしていいですか?」などと確認をとらない。キャラクターに悪いイメージを持たれないように、見た目や行動には気を遣う。先人たちが、グレーゾーンとうまく折り合いをつけるために築き上げてきたルールだ。

 

最近はコスプレに対する公式の認識が変わってきたのか、コスプレOKを表明する作品や、公式コスプレイヤーを用意する作品もある。逆に公式によってコスプレはいかなる場合も禁止を明言する作品も出てきた。かつてより作品によってコスプレの可否は違うものではあったが、公式からの表明が加わることによってコスプレのグレーゾーンにも、作品ごとに黒と白の濃度の差が出ている。

加えて、コスプレに関するイベントや施設独自のルールも存在する。これはコスプレに限らない他のイベントや施設と同様で、「うちのイベント(施設)を利用するなら、このルールは守ってね」と提示されるものだ。「図書館では大声を出さず静かにしてください」というルールと同じようなものだ。例えば、公園で行われるようなコスプレイベントの場合、「コスプレで移動していい範囲はここからここまでです」と書かれていたりする。コスプレ姿を撮影できるスタジオでは「靴の裏に養生テープを貼って汚れが床に付かないようにする」というルールが一般的だ。

コスプレルールは、コスプレ業界を守るために存在していると同時に、コスプレイヤーの「キャラクター愛」の証明に使われることもしばしばある。コスプレイヤーは、キャラクターの恰好を真似てしまう程度にはキャラクターを愛してしまっている。愛したキャラクターが不名誉な扱いを受けないために、さらにルールを課していくことも珍しくない。このキャラクターは赤い目をしているのだから、カラーコンタクトを付けなければならない。セットされていないボサボサのウィッグを使うなんて言語道断。少しでもキャラに近づくための努力は惜しむな。「キャラに愛があるならばそれぐらいできて当然」というルールも、少なからず存在している。

 

結果、現在のコスプレイヤー暗黙ルールのなかには、公式から黙認されたグレーゾーンを守るためのルール、公式から提示されるルール、コスプレに関連する施設等が出すルール、キャラクター愛を証明したいがためのルールが混在している。ゆえに、ルールの意味や解釈がごちゃごちゃに絡まってしまい、ルールが暴走気味になるケースが多々発生する。

わたしはかつて、SNS上で「ノーメイクでコスプレをするのは著作権の侵害であるからやめろ」という旨のメッセージをいただいたことがある。ものもらいを患っていたときに化粧をせずにコスプレしたことがあったので、このような意見を頂戴した。おそらく、メッセージの送り主は「ノーメイクでコスプレをするということは、こいつは元になったキャラクターをないがしろにしているに違いない。キャラクターをぞんざいに扱えば公式のイメージダウンにつながってしまう。そうなれば公式が迷惑をこうむる、つまり著作権の侵害だ。他のコスプレイヤーに被害が及ぶ前にこいつを注意しなければ!」と、こういった考えによってメッセージを送ったのではないか。

わたしの例だけではなく、知的財産権に関する法律や、コスプレ界隈のルールや、キャラクターに対するリスペクトなどを個々人が解釈した結果、「どうしてそうなった!?」という意見が飛び出してくることは、よくあるのだ。トンデモ解釈を批判するコスプレイヤーもいるが、その人が清廉潔白かと言われれば、そんなことはない。コスプレした写真をSNSで全世界に発信したり、非公式の業者が作った衣装を購入して着用したり、少なからず知財権の侵害をしているものだ。それを言い出したら事態はもう泥沼。各々が掲げる正義の御旗のもとに、今日もインターネットのどこかでコスプレ論争が繰り広げられているだろう。

 

わたしもコスプレを始めたてのころは、キャラに誓った愛と正義を胸にインターネットレスバトルに参加したりもしていたが、最近は、己をかえりみるいい機会としてバトルを眺めている。議題に上がった内容にヒヤッとしたら、自分の行いだけは変えるようにしている。特に怖いのが、キャラ愛の下に隠れる承認欲求の暴走だ。自分だけでは、ときたまこれを制御できなくなるので、レスバトルを戒めとするのだ。

褒められたい、ちやほやされたいという感情は、誰もが持っていると思う。わたしもそうだ。殊コスプレにおいては、特にその欲求が強く出過ぎることがある。なにせコスプレの準備には膨大なお金と時間が必要だ。布を買ってきて、日夜ミシンを踏み、ウィッグをキャラクターの髪型にカットして、お肌や体型を整える。ひとりのキャラクターのコスプレをするために1か月2か月準備することは当たり前だ。衣装作りの過程で失敗することだって山ほどある。とてもじゃないが日常で着られない衣装に1万円も2万円も出す。こんなに努力したのだから、褒めてもらい、もっと見てほしいと思ってしまう。

尊大な承認欲求をおおっぴらに出すのは浅ましい気がして少々はばかられる。だから、「キャラクターへの愛」をベールにすることで、満を持して世に公開する。「こんなにこのキャラクターが好きだから、良さを広めたくてコスプレしました。決して自分の容姿を自慢したいとか、裁縫の腕を褒めてほしいとかそんなんじゃございません。」という予防線をはる。キャラのついでに自分も認めてもらえれば万々歳だ。

 

しかし、承認欲求というのはとどまることをしらないのでむくむくと大きくなってしまう。より多くの人に認めてほしいという欲は、グレーゾーンをはみ出してしまいそうになる。異性ウケを狙って露出の多い衣装を着てみちゃおうかしら、目立つためにとんちきな行動をとったりしちゃいましょうかと、目がくらんでしまう。

そんなとき、わたしを諫めてくれるのも、やっぱりキャラクターへの愛なのだ。たびたびルール解釈の不純物としてみんなを混乱させたり、他者を攻撃する強い言葉や承認欲求を隠したりするのもキャラ愛だが、わたしの暴走を止めてくれるのも、キャラクターが好きという感情だ。コスプレルール論争をみていると、結局誰もが作品と、キャラクターと、コスプレが大好きなのだ。大好きな世界を壊したくないという気持ちは一緒。コスプレの根幹にキャラクターへの愛情があることを思い出させてくれる。

 

コスプレのグレーゾーンを考えることは難しい。人によって言っていることはちがうし、公式は「いい」とも「悪い」とも言ってくれない。だからこそ、初心に戻って作品とキャラクターへのリスペクトを忘れないようにしたい。そうすれば、誰かの権利をいたずらに奪うことはないだろうから。

悲しいかな、公式から「著作権の侵害だ」と言ってもらえなさそうなクオリティーで完成してしまった自作衣装を見ながら、そんなことを考えた。

(著者:たみ)