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その名称は使えません!~校閲と登録商標~(著:白築シノ)-第1回「知財とアレ」エッセイ大賞 入賞作品

本記事は、 第1回「知財とアレ」エッセイ大賞 における受賞作品を著者の承諾を得て掲載するものです。
他受賞作の情報はこちら (22年10月に順次公開)
※大賞は2作同時受賞となります。

第1回 入賞作品 審査コメント
文章の中で「登録商標」を説明的に使うことは、商標としての使用にならず、商標権侵害が成立しないというのは知財業界の常識です。しかし、新聞校閲の現場では「商標の普通名称化や、商標権者の権利を害する恐れを考え、原則として登録商標は使用しないルールとのこと。本作は、プロ校閲家の立場から「登録商標に関わる校閲の実務と、校閲家として実際にあった逡巡」を描いています。

法律的に商標権侵害といえない場面でも、どこまで「登録商標」に配慮しなければならないのか?表現の選択の幅との関係は?しかし、新聞社の立ち位置も分かるな・・と、改めて考えさせられた作品です。

素晴らしいエッセイをぜひお楽しみください!

その名称は使えません!~校閲と登録商標~

校閲を生業とするようになって7年ほどになる。

校閲とは原稿などを丁寧に読み込んで、文法的な誤りや差別的な表現、数字・固有名詞の間違いなどを指摘したり、表記を統一して読みやすい文章表現になるよう助言したりする仕事である。手書き原稿などがゲラに刷られた文字と一致しているかを確認する校正や、原稿の資料照合にも並行して取り組んでいる。

私はこれまで、新聞記事の校閲業務を専属的に担ってきた。題字や見出し・写真説明文が適切か、グラフや図表の数値に誤りがないか、紙面構成における決まり事が守られているか、などといった視点も交えて、日々業務に勤しんでいる。

 

校閲者として知財分野で最も意識するのは、やはり登録商標の言い換え問題だ。登録商標は商標権を持つ者のみが独占的に使用でき、商標法によって保護されている。たとえ公共性のある新聞記事であっても、あたかも一般的な名称であるかのように登録商標をみだりに使用することは、その価値を害するおそれがある。

また、登録商標を普通名詞のように使うことで、他社の類似品の市場価値を低下させるリスクもある。

 

したがって、当該商品そのものを紹介するような記事を除き、登録商標は原則として使用せず、新聞社が定めた言い換え例を参照して修正してもらうことになる。

 

よくある例は筆記用具の「マジック」だ。内田洋行が商標権を有している「マジックインキ」の略称だが、広く一般に浸透しているがために、例えば七夕祭りの記事で「短冊にマジックで願い事をしたためた」などと記者が書いてくる場合が多い。

校閲側としては「またか……」と少しウンザリだが、社内規定に従って「(油性)フェルトペン」「油性サインペン」などと言い換えるよう伝える。ちなみに「サインペン」もぺんてるの登録商標だが、一般名詞化しており、こちらは紙面で使用してもOKとなっている(ぺんてる社が使用許可を出しているのかというようなことまでは分からない)。

校閲としては、商標権者がどこの個人・法人であるかをいちいち覚える必要はない。とにかく、プロの記者でさえ商標だと気づかず使ってしまう商品名などに「ひっかかり」を感じられるよう、普段から商標に敏感になっておくことが大事だ。

 

ひっかかりさえすれば、社内の資料や特許情報プラットフォーム(J-PlatPat)で確認することができる。私も常々、商標に気をつけようと努めているが、最近も「エレクトーン」を「電子オルガン」に言い換えなければいけないことを、上司のデスクに注意されるまで気づけなかった(音楽分野は苦手なのだ……)。とはいえ、こういう失敗は繰り返さなければいいと割り切ってもいる。

紙面では日々さまざまな話題が俎上に登る。仕事を通じて「これも商標だったのか!」と驚きとともに知る機会も多い。こういった豆知識が増えていくことは、校閲の面白さだと思っている。

 

さて、このように登録商標の言い換えを提案する機会が定期的に訪れるわけだが、簡単に直してもらえるとは限らない微妙な案件も存在する。

 

印象的だったのは「断捨離」の使い方だ。断捨離は一見、仏教用語のようなニュアンスを感じるが(現に私もこの業界に入るまではそう思っていた)、ヨガ指導者の沖正弘氏(故人)の造語らしく、クラター・コンサルタントを自称しているやましたひでこ氏が商標登録している。

2010年に流行語大賞にノミネートされた頃から世間一般に浸透し、紙面上でも散見されるようになっていた。後にやました氏本人から、断捨離の本来の意味にそぐわない使い方をしないよう新聞社に要請があったという。断捨離をただの片付けの意味として使っているのを紙面上で見かけるが、断捨離は心の整理につながるもので、安易な使用は差し控えてほしいという趣旨だったと思う。

 

この要請をもとに「断捨離」は原則紙面で使わないというルールができたが、その原則に従っていいか迷う場面があった。

 

多くの新聞には「読者投稿欄」がある。文芸欄では短歌、俳句、川柳を読者から募っているのだが、入選作にときどき「断捨離」が出てくるのだ。

登録商標は指定商品又は指定役務に関連して用いられて初めて商標権の侵害になる。そう考えると、創作において使われる場合は問題ないのではないか。とはいえ小説やエッセイでたった1か所だけ出てくるような場合と違い、十七文字や三十一文字という極めて凝縮された文芸作品の中で使われれば、作品の核的な要素になっているといっても過言ではない。

 

法的な問題はひとまず置くとして、消極的ではあるが、リスク回避を優先して掲載を見送ってもらうほうがよいのではないか。

私もこの問題に悩んだ機会があったが、結局は文芸欄の編集担当者に相談し、担当者から選者に連絡してもらったうえで、当該作品の紙面化は見送られた。

おそらく断捨離を詠み込んだ作者に悪意はなかったろう。申し訳ない気もしたが、公に発信する行為は、常に誰かを傷つける危険性を孕んでいるのだと改めて実感した。

 

登録商標の価値を守り、商標権者の権利を大切にした紙面づくりに資することは、ひいては新聞紙面の品質を向上させ、新聞の社会的な信頼性を担保するという大目標につながると思っている。校閲として求められる視点は多角的で、商標だけに意識を向けるというわけにはいかない。

それでも守備率100%を目指す身としては、指摘すべきことはいつもきっちり指摘できるよう精進したい。

 

――「その名称は使えません!」と。

 

(以上)

(著者:白築シノ)


参考URL

・寺西化学工業株式会社ホームページ
https://guitar-mg.co.jp

・毎日新聞校閲センター・ツイッターアカウント
https://t.co/WTEQX2ZVxj https://t.co/xmBYoLaufI」 / Twitter

・ウィキペディア(沖正弘の記事)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E6%AD%A3%E5%BC%98

・断捨離®の著者、やましたひでこの公式サイト
https://yamashitahideko.com/profile/

参考文献

・読売スタイルブック2020(読売新聞社編著)
・記者ハンドブック第14版 新聞用字用語集(共同通信社編著)