本記事は、 第1回「知財とアレ」エッセイ大賞 における受賞作品を著者の承諾を得て掲載するものです。 |
第1回 大賞受賞作品 審査コメント
『星の王子さま』で「大事なことじゃないや」と一蹴されたはずの“特許をとる”という考え。しかしサン=テグジュペリは、生前フランスで沢山の特許出願をしていて…という矛盾ともいえる謎、フランス特許庁のデータベースを紐解く探究心、そして考察が審査員に高く評価されました。
素晴らしいエッセイをぜひお楽しみください!
『知財×サン=テグジュペリ』
ここに2冊の本がある。
1つは『星の王子さま』。岩波の愛蔵版で、1975年7月20日付の第29刷。小学生の頃に読んだものだ。
もう1つは『人間の土地』。新潮文庫で、令和4年4月30日付の第93刷。恥ずかしながら、つい最近読んだ。
いずれも、フランスの作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの作品である。
今思えば、『星の王子さま』は私にとって、“知財”についての洗礼を与えた最初の本だったのかもしれない。
1939年に上梓された『人間の土地』と1941年に書かれた『星の王子さま』(発行は1943年)。この2冊は、かなり近接して書かれている。いわば同じ体験を土台にした小説と童話だ。私はこれらの本を、47年もの時を隔てて手に取ったわけだ。
『星の王子さま』のメッセージは、“本当に大切なことは、目に見えないんだよ”というシンプルな言葉に凝縮されている。リトル・プリンスが、325番から330番までの6つの星を巡った後、7つ目に訪れた地球で、一匹のキツネに出逢う。このキツネからもらった言葉だ。
王子さまは、7つの星々を旅する中で、様々な人に出逢う。人間はみな家来だと思っている王様、他人はみな自分に感心していると思っている自惚れ男、恥を忘れるために酒を飲み続ける呑み助、財産を増やすことに執心する実業屋、純朴に単調作業を繰り返し続ける点燈夫、象牙の塔から出ずに世界を分かった気になっている地理学者、そして、自分を御大層なものだと思って暮らしているおとな達―――。
当時のマセた小学生の間では、この童話の良さを理解できる子が、奥ゆかしい詩的な連帯を結んでいたように思う。けれど私は、4つ目の星にいた実業屋が気になって仕方なかった。寸暇を惜しんで働き、財産を増やそうとしている実業屋。
「金持ちになると、なんの役にたつの?」という王子さまの問いに、
「だれかが、ほかにも星を見つけ出したら、そいつが買えるじゃないか」と応える実業屋。
そして、
「だれよりもさきに、一つの考えをもったら、おまえは、それに特許をとる。つまり、おまえのものだよ…」とも。
けれど王子さまは、そんな実業屋の考えを、「だいじなことじゃないや」と一蹴する。
童話のメイン読者である小学生にとって、この一連のくだりは、どう見ても印象が悪い。
ことさらに所有を拡げて権利を振りかざすことや、アイディアを特許で独占することは、“金の亡者”のようで、強欲なイメージが付きまとう。何かを発明して“特許をとる”という行為のうしろには、とかく“一攫千金”という動機が見え隠れする。財産を増やそうとすることは、恥ずかしいことなのか?
おそらくこの時が、人生で初めて“知財”に思いを馳せた瞬間だったろう。
真面目に仕事してお金を貯めたり、ユニークなアイディアを独占することが、“だいじなことじゃない”とされる物語に、なんとなく居心地の悪さを感じ、それきりサン=テグジュペリから距離を置くことになった。
ところがそれから数十年の間に、いくつかの職業を通し、何度も“知財”を考える機会を得た。そして、“知財”というものが、“目に見えないもの”であること、本質的には“独占には向かない性格のもの”であること、“シェアしてこそ本領を発揮するもの”であることを、漠然と認識するようになった。
そんな中、無体財産たる“知財”の基礎解説[1]の中に、サン=テグジュペリの出願した特許が紹介されているのを見た。
「特許の取得を揶揄していたかのような彼が、自ら特許を?!」
と、半ばシニカルな気持ちで、フランス特許庁のデータベースINPIを覗いてみた。
以下が、機械翻訳頼みで出願日順に並べた、彼の特許である。
出願日 | No | 発明の名称 |
1934/12/15 | 795308 | 航空機着陸装置 |
1937/10/8 | 836790 | 視界のない航空機を着陸させる新しい方法・装置と実現装置 |
1937/10/29 | 837676 | ゴニオグラフ |
1937/11/19 | 49453 | 視界のない航空機を着陸させる新しい方法・装置と実現装置② |
1937/11/25 | 838687 | インジケータまたは測定装置を読み取るためのリピータシステム |
1938/8/17 | 850093 | 持ち上げおよび推進システム、特に航空機用 |
1938/8/18 | 850098 | ルートトレーサ装置、特に船舶または航空機用 |
1939/6/24 | 870607 | 対称曲線を重ね合わせた新しい測定方法および方向検出指示装置への応用 |
1939/7/22 | 861203 | 1つの表示器による機内エンジン制御手段の改善 |
1939/7/22 | 50700 | 持ち上げおよび推進システム、特に航空機用② |
1939/7/26 | 50809 | 持ち上げおよび推進システム、特に航空機用③ |
1939/7/28 | 861386 | エンジン、特に航空機エンジン用の新しい始動装置 |
1940/2/19 | 924902 | 電磁波による新しい検出方法 |
1940/2/29 | 924903 | 電磁波による新しい検出方法② |
1940/3/7 | 54326 | 電磁波による新しい検出方法③ |
当時のフランスの特許制度は無審査主義であったため、これらの発明に新規性や進歩性があったのかどうかはわからない。それでも、サン=テグジュペリが、ほんの6年の間にこれだけの特許出願をしていたという事実に興味が湧き、この出願ラッシュのさなかに書かれた『人間の土地』を読んでみることにしたのだった。
これらの特許を、『人間の土地』の巻末に掲載されている年譜と照らしてみると面白い。
彼は1934年、エール・フランス社宣伝部在籍中にメコン川で不時着事故を起こしたが、その年に「航空機着陸装置」を出願している。また1935年には、視界不良の中、リビア砂漠に不時着して生死の境を彷徨った後、奇蹟的な生還を果たしたが、その後の数年間、立て続けに航空機に関する出願を繰り返しているのだ(『星の王子さま』は、このリビア砂漠での体験から生まれた)。

こうして見ると、まさに「必要は発明の母」。人間、危機に瀕したり不便を感じると、改善したくなるのが常。動機はどうあれ、サン=テグジュペリも人の子だった。自らアイディアを捻りだし、特許出願していたのだ。王子さまに“だいじじゃない”と言わしめた特許出願を―――。
これらの特許の存続期間はとうに過ぎているし、彼の著作の著作権もすでに切れているとはいえ、いまだに書籍は販売されており、タイトルや挿画には商標権が維持されている。関連したいくつかの権利は財団に管理されて、完全なる“パブリック・ドメイン”にはなっていない。彼亡き後も、ずっと財を生み続けている。それなら、彼と、4つ目の星にいた実業屋との違いはどこか?
『人間の土地』を読んだ今、それはひとえに、“思いやりに裏打ちされた活動”だったのではなかろうかと思える。
思いついた考えを他人に話す。思いをしたためて手紙を書く。思いついた物語を言葉として文章に起こし本にする。思いついたイメージを絵にして描き起こす。思いついたアイディアを書面にして特許出願する―――。自分の考えを誰かに伝えることが、状況を動かすと信じて活動する。財は単なる付随物であって目的ではない。活動の目的が違う。。。
人間は日々いろいろなことを思いつくが、それを言葉にしたり文字にしたりイラストにしたり特許にまでする人は稀だ。サン=テグジュペリは、これらを全部やってのけている。彼がそれをしてくれたことで、後の時代の我々が、彼の“思い”に触れ、いまだに感動したり学んだりすることができる。彼が具現化しておいてくれたおかげで、彼亡き後もそれが伝わり、“思い”を“継承”しているわけだ。
『人間の土地』には、「飛行機」という章がある。サン=テグジュペリは、何度も墜落事故や水没事故や不時着事故を起こしている。当時の飛行機の性能もさることながら、飛行機を操る腕前のほどは怪しいと言わざるを得ない。けれど、地上を俯瞰して見ることの出来る鳥のような視点を、こよなく愛していたであろうことは想像に難くない。“飛ぶ”という行為がもたらす感慨と、仲間や自らの遭難がもたらす極限状態とが、彼の思想を色濃く形作っているのを感じる。
この「飛行機」の章に、“発明”に関する記述がある。発明の完成は、付加すべきものがなくなったときではなく、除去すべきものがなくなった時に達せられると思う、と書かれている。飛行機を高く飛ばしたり速く飛ばしたりというのは、あくまで手段であって目的ではない、と。進歩の熱にうかされて、“人間のため”という本然を忘れてはいけない、と。発明の完成は、発明の忘却と境を接する、と。
たぶん彼にとって特許出願は、本当の意味での発明の完成を目指す、多くの世代の経験の積み重ねの途上でしかなかったのかもしれない。1つ1つの特許が“だいじ”なのではなく、いくつものアイディアを積み重ね、磨き上げ、発明の存在が忘れ去られるほどになった時、彼にとっての発明は完成し、目的は達せられたと言えるのだろう。
2022年現在、日本の特許情報プラットフォームJ-Plat Patで「航空機着陸装置」と検索すると、いまだにたくさんの関連発明がヒットする。発明の完成は、まだまだ途上にあるようだ。
『星の王子さま』で、4つ目の星にいた実業屋の仕事や、特許をとることを、“だいじなことじゃない”と言ったリトル・プリンスの真意が、『人間の土地』に端的に書かれていた。財産もアイディアも、何かのために使われてこそ、意味がうまれる。言い換えれば、他人の役に立ち、その人の心や在り様を変える力こそが、“本当に大切なこと”だということ。
難しいのは、人の役に立てるためには、“目にみえないもの”を“形”にする必要がある。 “形”にして具現化しておかなければ、役立てることも、継承することもできない。
サン=テグジュペリが『人間の土地』の最後にしたためた一文が、まさに“知財”を象徴しているように感じられる。
「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる。」
さぁ、今日も、“精神の風”を吹かせよう―――。
(著者:うえお アイ )
[1] JPDS|知財情報|知財の基礎知識 『企業活動と知的財産 ~なぜ今、知的財産か』(重田暁彦;JPDS)