OpenAI社が2022年にChatGPTをローンチして以降、世の中は空前のAIブームです。
過去にもAIブームは、発生はしていました。ただ、それらは、一過性のものであったり、一部の分野でのみの盛り上がりであり、世の中の人が当たり前のように日常的に触れたいと思うレベルではありませんでした。
今回のAIブームは、過去のものとは違い、本格的にインターネットが普及したときのような「Googleで検索して」が、「ChatGPTで検索して」で置き換えられる程の現象が起きています。
この爆発的なAIサービスの普及に拍車を掛けた理由は、情報を検索するに留まらず、AIが情報を生成してしまうからです。
例えば、「特許を利用して企業を成長させるイメージ図を作って」と質問すると以下のような図を作ります。図1は、実際にAIで生成した図になります。一切画像に対して手動の編集は入れていません。修正したいときも、メッセージで「~風にして」という言葉で指示して、画像を簡単に作成できます。
図1.生成AIを利用した画像の例
今回の記事を執筆している2025年は生成型AIブームの発端から数年経過したので、そろそろブームに乗っかった第1陣の特許出願公開案件が出揃う時期です。そこで本記事では、AI事業を行う企業としてSakana AI社を題材にし、知財を絡めた戦略を考察します。
※今回の記事の説明図の中には、図1以外にも生成AIに指示しただけで作った図があります。どれが、生成AIだけの力で作った図か、想像しながら読んで頂けたらと思います。
目次
ゲスト紹介
得地賢吾と申します。大手メーカー、IT企業、ベンチャー企業を経験し、数千の特許出願・権利化の対応を行いました。
その中には、自らが発明者として出願・中間処理を行っているものも多数含まれ、自らの発明案件のみで国内外の合計約1000件の特許出願の実績を持っています。自ら発明した特許の多くは、他社が実施していることを立証可能な特許も数多く含み、1件あたりの特許の価値は推定1億円を超えます。推定1000億円以上の知財脳を誇る知財王の記事を楽しんでください。
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1. AI分野の特許出願(基礎と注意点)
AIの特許は大きく分けると、①AIそのものの特許と、②AIを利用したサービス特許という2種類があります。
①AIそのものの特許
・例えば、AIの回答精度を良くするためのアルゴリズムの発明といったものが該当します。
・AIの内部制御は、特許侵害の立証が困難を極めます。そのため、基本的には出願優先度が低い技術になります。ただし、その技術領域の公然の課題から察するに、解決手段として、その内部制御以外の選択肢が少なく、内部制御の技術を使わざるを得ないという状況が高い場合においては、内部制御であっても特許出願をするのが良いと考えられます。
②AIを利用したサービス特許
・例えば、AIを使って各産業分野の課題を解決する発明などが該当します。
・単に既存の技術の一部の構成をAIに置き換えただけ、AIの構成を単に組み合わせただけだと、特許性が認められないケースが多いです。特許出願にあたっては、なぜAIに置き換えたり、追加したりすると今までにない効果が生じるのか?具体的に語れるようにしておく必要があります。
図2.AI特許の分類
2. 日本発のAI企業「Sakana AI」の戦略
Sakana AI社は、2023年にGoogle社出身のデイビッド・ハ氏とライオン・ジョーンズ氏、メルカリ社出身の伊藤 錬氏の3人で立ち上げた、AIを使った事業を主力にした企業です。
Sakana AI公式サイト
具体的にそのAIで何ができるかですが、ChatGPTと同じようにユーザの質問に対して図等を生成して返事を返すことができます。
このSakana AI社は、シリーズA(事業化の初期段階)で約300億円の資金を調達した有名ベンチャー企業です。通常、シリーズAでの資金調達額は、数千万~数億円になることが多いです。
一先ずSakana AI社の日本における、特許出願状況を特許庁で出願人を『Sakana』で検索すると、
2025年6月1日の時点で日本国内特許出願が0件であることが分かります。
図3.Sakana AIの特許出願状況を検索した結果①
なお、外国文献が、62件と表示されています。これは中身を見ると分かるのですがSakana AI社とは関係ないものになります。Sakana AI社は、2023年創業ですが、一番新しい出願年ですら、2023年よりはるかに古い2014年です。たまたま、Sakanaという名前が出願人欄にあるため、引っかかっています。
図4.Sakana AIの特許出願状況を検索した結果②
特許出願をしていないベンチャー企業はありますが、ここまで有名なディープテック系の企業にとっては珍しいと思います。参考文献でも、スタートアップは平均5件程度特許出願を行っているというデータがありました。
「スタートアップの知財活動とExitの関係」 安高 史郎 パテント2020 Vol.73No.19(別冊No.24)
Sakana AI社のAIの技術的な特徴は、色んな媒体でも語られているように、複数のAIを魚の群のように協調させることにより、複雑なことも処理できるようにさせる点です。いわゆる「群知能アプローチ」で社名の由来にもなっています。先ほど、AI特許を大きく2つに分類しましたが、技術的な特徴から言うと①のAIそのもののアルゴリズム発明に該当します。
Sakana AI社の特許出願がないということは、以下の仮説が考えられます。
- 仮説A:特許の重要性を理解していない。
- 仮説B:特許を出すほどの新しい技術が存在しない。
- 仮説C:特許に割く予算がない。
- 仮説D:独占・排他的な事業戦略ではなく、広く色んな人に使ってもらうオープン戦略を優先している。
情報収集した結果によると、仮説A・B・Cの可能性は低いと判断できます。
仮説Aは、創業者はGoogle社といった特許出願を行う大企業出身であり、特許の重要性を知らない環境に身をおいていません。Google社は多くの特許侵害訴訟などの紛争に巻き込まれており、特許が事業上どれだけ役に立つか身をもって知っている企業です。
仮説Bは、Sakana AI社が完全に他社の生成AIのやり方を真似しているだけだと特許を取得出来ませんが、彼らは複数のAIを群ににする「群知能アプローチ」で明確に棲み分けしていると主張しています。
また、創業者の1人であるライオン・ジョーンズ氏は、有名なAIの技術者であり、ChatGPTの名前の由来になっている「Chat Generative Pre-trained Transformer」の「Transformer」と呼ばれる言語処理モデルの開発者の1人です。2025年5月にも、新たな技術ニュース(時間情報を明示的に扱う新しいAIモデル『CTM』、AI自身がプログラムコードを自己改善するダーウィン・ゲーテルマシン『DGM』)を発表しているので、技術開発も積極的です。よって、Sakana AI社が、特許性を有する技術を生み出せない、技術力の低い企業の可能性は低いでしょう。
仮説Cは、約300億円の資金調達が行えているので、日本で1件特許出願したとしても、トータルコストは150万以内には収まると思いますので、資金難により特許出願をしていないとも考え辛い。もちろん塵もつもれば、何とやらですので、ワールドワイドに特許出願をたくさん出し続けると、当然資金難にはなりますが、現状日本でも0件なのでこの仮説も却下されます。
そうなると、残るは仮説Dのオープン戦略を取っている可能性が高いです。
一般的にオープン戦略を取る場合、クローズの部分も有しており、オープン&クローズ戦略を取る形式が殆どです。完全にオープンにしてしまうと競争優位性がなくなってしまい、長期的な事業の安定性が図れなくなります。そのため、客寄せ用のオープンの領域と、競争優位性を維持するためのクローズの領域を設けます。クローズの部分を作るために特許を使うこともあるが、今回は違う部分でクローズ戦略を取っていることが考えられます。
図5.オープン&クローズ戦略の技術の層別図
今回、Sakana AI社のクローズ戦略として、将来自社で重要なサービスにしようと思っている機能を、商用利用を許可しないライセンス形態で提供しておくという手法を採っていると考えられます。
実際に、Sakana AI社がEvoSDXL-JPと呼ばれるソフトウェアを公開した際には、その利用は研究開発目的のみに限定されており、商用利用を許可していませんでした。将来的には、有償でライセンスしたり、そもそも完成度が高くなった時点で、そのソフトウェアモジュールは使わせず、自社でのみ使うようにする可能性もあります。
図6.オープン手段とクローズ手段の例
ここで、「契約で利用を許可する」ことはプログラムの利用を許可・公開しているのでオープン手段では?と考えられた方もいるかもしれません。もちろん、Sakana AI社が開発したプログラムを全てソースコード形式(人間が可読可能なプログラム)で公開したり、利用を許可したりしたら、ただのオープン手段に近くなります。
しかし、Sakana AI社が将来的に有償で提供しようとしているサービスで利用する予定のプログラムの一部を公開・許可しているだけだとしたら、重要な差別化プログラムは、クローズの状態を維持できます。自社でバグを見つけたり、改善するのが難しいプログラムだけをオープンソースにして多くのユーザにさらすことは合理的な手段です。契約の対象となる技術を保有している側が契約の対象とする範囲を決められますので、自社にとって不都合な箇所は契約の対象外にすれば良いだけのことです。
すなわち、Sakana AI社は特許という選択肢を選ばず、代わりに契約等で他社をコントロールすることを実現しようとしていると考えられます。契約は、弁護士や法務部員が作成しますが、特許出願に比べれば格段に安いです。オープンソースソフトウェアのライセンスだと、決まってテンプレートも存在し、それを利用すれば新規に契約書を考える必要すらないです。実際に、Sakana AI社は、Apache License 2.0を採用して、ソフトウェアを提供しています。
Apache License 2.0は、簡単にいうと商用利用を許可するが、権利不行使条件を結ばせる契約です。権利不行使条件とは、Apache License 2.0で配布されているソフトウェアに対して特許侵害を訴えると、そのライセンスが破棄されることを意味しています。
これにより、特許侵害のリスクを低減させる効果をもたらすと同時に、このApache License 2.0で配布されるソフトウェアの技術における特許を取得する意義を低下させます。こうすることにより、安心してユーザ同士で活発に利用し、改善したオープンソースソフトウェアを提供しあう関係性を構築できます。
もし、この関係をApache License 2.0で配布されるソフトウェアを利用する企業が特許侵害の訴えを起こすことで破れば、契約違反になりライセンスが無くなるので、その後にソフトウェアを利用すれば著作権侵害(ソフトウェアは著作物として保護される対象)にもなります。
図6.契約(Apache License 2.0)による他社コントロールの構図
Sakana AI社は、このような契約に基づく関係性を利用することで、あえて特許取得をせず、オープン戦略でユーザーを増やし、スピード感のある開発を行っているのでしょう。会社として強みを持つコア技術領域がAIの内部制御側であるため、特許を取得しても侵害立証が困難であることも一因と考えられます。サービスをまずは利用してもらいAIの学習データを増やすことで、完成度の高い生成AIを早急に作り、生成AIの業界でのイニシアティブを取ろうとしていることが伺えます。
3. 特許を保有しない状態で他社を契約でコントロールする戦略の弱点
このような特許をあえて取得せず、契約で他社をコントロールする戦略に弱点はないのでしょうか。考えられる弱点は、
- X.契約を結んでいる当事者間でしか効力を発揮しない
- Y.契約は破棄することも可能
の2点です。
Apache License 2.0で配布していることもあり、Sakana AI社のソフトウェアを利用している企業からは攻められる可能性は低いです。しかし、Sakana AI社のソフトウェアを利用しない企業からすると、似たようなソフトウェアを勝手に作ることは可能です。
また、契約は、破る自由があります。もちろん、契約を破ることのデメリットもありますが、そのデメリットを超えても、特許侵害で他社を訴える方がメリットが高いのであれば、途中で契約を破棄して攻めてくる可能性は大いにあります。安全な権利行使の仕方を考えるとしたら、相手側のソフトウェアの利用を途中で止めてから、権利行使を行えば権利行使側のリスクはほぼ0になります。
その点、特許という当事者間に限らず、ありとあらゆる侵害者に対して公権力(法の裁き)を発揮する武器はとても強く、ソフトウェアを使うのをやめたといっても侵害を回避することはできません。よって、契約という存在を過信し過ぎず、自社での特許等の知的財産権で技術保護を考える価値があります。
図7.特許と契約の効力の射程の違い
結局、契約で戦うか、特許で戦うかは二者択一ではなく、それぞれの特性を理解した上で、技術分野や事業戦略にあわせて、どちらを主とするか、または組み合わせるかを決めるのが良いです。
4. 特許を取ってより万全の戦略を作るには
本件を踏まえて、「特許を取るべきか」という判断ですが、まずは、特許があるとできること、特許がなくてもできること、両方でできることを整理・理解することが大切です。
例えば、これまで述べたように、契約という手段は、特許といった知的財産権がなくても、相手が契約条件に同意さえすれば、自分達を有利にする条件を結ぶことができます。
図8.特許出願する理由を明確にする
漫然と特許を取得するのではなく、「特許がないと出来ないことは何か?」を明確にすれば、取得の要否も見えてきます。
また、今回のAI特許のように素直に発明検討すると内部制御の特徴になってしまうときは、現在注目している処理の前後や技術を俯瞰して捉えて、他の目に見えやすい特徴から発明を見出すようにすることが大切です。
例えば、AIの設定をいじる場合の操作性に関する技術や、AIの入出力の目に見える部分に特徴がないかなど、発明の裾野を広げることで、特許の有効性を高められます。
図9.コア技術が内部制御の場合の特許出願すべき領域イメージ図
上記のようにすることで、一見すると特許では保護出来ない事業も特許で保護(クローズの領域を作れる)できるようになります。
Sakana AI社は、現在、特許出願しない戦略で成長を続けていますが、これが最終的に成功するのか、失敗するのか分かりません。もし、成功した場合は、この戦略は良い戦略として語り継がれます。一方、似たサービスを作る競合が現れて失敗したときは、特許を出願しなかったことが失敗の要因の一つとして挙げられることになるでしょう。
今、言えることは、今回の戦略によって早期に300億までは資金調達ができたということです。しかし、特許があれば、これが1,000億円まで伸ばせたのかもしれません。なぜなら、AI市場は、飛躍的に成長しており、2024年の日本のAIシステムの市場規模だけでも、前年比56.5%増の1兆3,412億円というデータがIDC社のレポートから出ています。
この市場の全ての企業に必要となる特許を保有し、1%でライセンスできたとして、年間約130億円です。10年続けば1300億円になります。もし、このAI市場が成長して単年10兆円くらいの市場となれば、もっと莫大な金額になります。この可能性を伝えることは、知財部員の大事な仕事です。知財部員は、特許の価値・効果を検討し、経営層に伝えなければなりません。
なお、Sakana AI社も途中で戦略を変えて、大きく特許出願を行う可能性もあります。そのときは、改めて特許出願した内容を分析することで、戦略が見えてくることになります。
5. まとめ
特許出願の分析をして特許出願がない(少ない)ことが判明した場合、知財戦略に取り組んでいないのではなく、特許に頼らない別の戦略を実行している可能性があります。
※なお、製品がリリースされて間もない場合、まだ特許が公開されていないだけの可能性があるので、どの戦略かを断定するためには数年間は様子を見る必要があります。
また、今回取り上げたAI分野のように一般的に権利行使しがし辛い分野であっても、処理の前後や製品全体を俯瞰してみることで、権利行使をしやすい技術を探し出し、有効性が高い特許を作ることは可能です。そのため、一概に「AI分野では特許は取得しなくてもいい」と言うことはできません。どのような技術を特許化するかが鍵となります。
あなたが知財担当者である場合、特許を活かすことを考えるのは通常ですが、特許を使わなくてもできることや、特許を使わないとできないことを検討することで、真に必要な特許出願領域を見つけ出すことができます。このように選択肢・視点を広く持つことで、より知財を事業に活用することができると思います。
※ちなみに、生成AIで作った説明図は図2になります。フォントの違和感(画像の中に文字列を指定して挿入するのは苦手)で気づいた方も多そうですが、いずれこの点も改善されるでしょう。AIの進化から目が離せません。最後に生成AIの画像を貼って締めくくります。